Frank Sinatra

Didn't We

1969 " My Way " REPRISE 1029-2/CD





 10月小雨の東京三宅坂で、Jimmy Webbを聴きました。初の来日コンサートは心に染み入るピアノ弾き語り。ポップやカントリといった様式を越えて、曲の魅力でたっぷりと勝負してくれました。

    『今度はうまくいくところだったのにね』

    この曲は勝てなかった人、敗者に捧げる歌なんだ。ピアノの側でJimmyは語ります。

    『今度は答えはこの手の中にあったのに、さわった途端に砂になって消てしまったよ』

 日本に来る前ちょうどオリンピックの頃、Jimmyはシドニーでコンサートをしていたそう。一握りの勝者の陰のたくさんの敗者。「Didn't We」にはそんな人たちをはげます意味が込められていたそうです。ちょっとさみしげな歌詞なのだけれども... だれしも勝負に勝ちたい、成功したい、認められたい、栄光をつかみたい。でも勝つことは簡単ではないし、願った通りにことは運ばないもの。もう少しでできたはずなのに。もう一歩ができない。



この曲とステージの語りを聞いてぼくはアトランタの有森裕子さんを思い出していました。彼女は残念ながら金メダルをもらえなかった。でも「自分をほめたい」と素敵なことを言いました。この言葉もまた「Didn't We」によく合います。この台詞は有森さんが、フォーク歌手高石ともやの言葉を学生時代に聞いて、ノートの端に書き留めておいたものだそうです。60年代からがんばっているおじさんたちは、あと少しのところまでがんばった人たちを心からはげましてくれます。
 ヒット曲を連発したJimmy Webbの30年前は、まるで金メダルに囲まれていたようだったでしょう。そんな時代に、20歳そこそこの若者がこんな詩を書いていたことに驚かされます。そして現在の彼はこの曲と相応しい年齢になったのかもしれません。彼が今この曲を歌うとむかし大活躍した曲たちも元気付けられるようです。チャートとか、流行じゃないんだよ。気持ちを込めて曲を作って、大切に歌ってあげるよ、と。
 「Didn't We」は Richard Harris をはじめとし、数多くの人が取り上げていますが、ぼくはコンサート直後からどうしても Barbra Streisand のカバーを聞きたくなりました。ぴったりだと思いましたよね。さっそく収録の72年のライブ盤を一日探し回ったのですが、残念聞きたいものはみつからない。そこでSinatra親分に登場願いました(Sinatraさんごめんなさい、いつかはあなたのことをもっと書かせていただきます)。さてこの曲の Sinatra は上手いです。似合ってます。諦めと、寂しさと、でも少しの余裕が感じられます。ピアノ伴奏におさえたオケがからみ、彼は低音域まで十分に使って静かに歌います.面白いことに1915年生まれのSinatraが歌ったのは54歳。46年生まれのJimの現在の歳といっしょなんですね。このアルバムは「My Way」の大ヒットを中心に当時のロック界のヒット曲のカバーも入れたもの。おかげでいつでも手に入ってありがたいと思います。
秋の三宅坂で、Jimmy Webb の素晴らしい声とやさしい言葉を堪能しました。

(たかはしかつみ)





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