第4回 : 中村欣嗣さん |
オーディオを通したお付き合い -大滝さんとお付き合いするようになったきっかけは? CDプレーヤーが欲しいということで、あるお客様から紹介されて池袋店にいらっしゃったんです。池袋店で STUDER とかいろいろ聴いて頂きました。それで何もおっしゃらずに「品物が入ったらFAXいただけませんか?」と言われて帰っちゃたんです。それから STUDER を持って大滝さんの家に行ったんですよ。 -その頃の大滝さんのオーディオ・システムはどんな感じだったんですか。 その頃、大滝さんのオーディオ関連の部屋は4つあって、アナログとデジタルの音楽を聴く部屋が一部屋ずつ。あとは映画を観る部屋、スクリーンがで〜んとあって、そこで聴かせてもらいました。スピーカーは NHK が使っている三菱の2S305、アンプはLUXのサパイルSQ38Fというペアで聴きました。プレーヤーはテクニクスだったかな?そこで聴かせてもらったことは鮮明に覚えていますね。 |
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-その頃、もう大滝さんはオーディオに凝っているという感じだったんですか。
凝っているというよりは、人がいいと言うヤツを買っていたみたいでしたね。 -中村さんとの出会いでもっと深くなっていったんですか。 ある程度そうだと思いますよ。「今度これ持って来たんですけど聴いてみて、大滝さん」、「あ、いいよ」、みたいな。 -単純に新しもの好きのところもありますよね(笑)。 そう!新しもの好きですよ(笑)。 -大滝さんが電源1つからケーブル1つまで吟味して聴くようになったのは中村さんの影響なんですか。 多少はそうだと思いますよ(笑)。それでね、初めの頃は山下さんを紹介してくれなかったんですよ。 -それはネタ元がバレるのはイヤだとか(笑)。 それとあと、山下さんが入ってくると大滝さんが僕を独占する時間が短くなると思ったから(笑)。結構独占されましたから。もうすごい時は1週間のうち3、4回行ってましたね。帰るのはいつも12時過ぎですからね。でも夏場はあまり行かなかったですよ。理由はナイターがあるから(笑)。 -なるほど。 夏でも急ぎの場合があって、ナイターが終わるまでいっしょに観たことがあったんですが、これが・・・、大滝さんの解説が実に素晴らしい!。大滝さんが解説してくれるんですが、これが当る当る。「ここでハズすんだよ〜。ね、ハズしたでしょ。ここで打つよ」、これがほんとに打つんだなあ!。何で分かるんですか〜って感じです。 |
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-それで大滝さんの家では何をやっていたんですか。
電源のチェックしたり、置き場所変えたりいろいろ付き合いました。 -繰り返して聴くのはすごいなあと思うんですけど、繰り返したあとすぐ前の音を忘れちゃうんですよ。それでどっちがいいか分からなくなっちゃうんですよね。 分からないでしょう?だから何度も繰り返すんですよ。リピート、ダカート、ダルセーニョ(笑)。もう終わらない(笑)。 そうやっているうちに今年の3.21の『A Long Vacation』ができたんですよ。今度の『A Long Vacation』はオーディオから言ったらニュー・アルバムですよ。 -その話は感動的ですよね。我々がいい状況で聴くことができるようにずっと中村さん達と努力をしていたんだなあと。 ただ俺は売りつけただけ(笑)、棚からひとつかみ(笑)。 -そうやってオーディオの試行錯誤があって、3.21の『A Long Vacation』のデジタルの音ができるひとつのきっかけになっていったということですね。 なっていたと思います。諸々の出来事をフィルムかビデオ、写真で納めていたらすごいものになっていたと思いますね。大滝さんも僕も記録に残すタチではなかったので写真も何もない。あの時撮っておけばね。同じようなことを今山下さんと、ここの5Fでやっています。コードの聴き比べとか電源の聴き比べとか・・・。2ヶ月に1回くらい、ときどきやっています。 それで、例えば大滝さんと試聴をやっていると「お〜、これ!山下、好きだよ。これ山下に売りなよ」。それで山下さんがいらしたときに、山下さんが「この音、好き!いくら?」って感じになるんですよ。不思議とよく分かるんですね、お互いに。2人の共通点は、メチャメチャ義理堅いってところです。高いやつだけでなく、300円、500円のものまでメールやFAXで注文してくれるんですよ。インナーのスポンジがどっかいっちゃったから1組注文とか。 -義理堅いですね。 すごくうれしかったことがあって、昔体をこわして入院したことがあったんですよ。ちょうどその時に山下さんは引っ越しをしたんだけど、オーディオを買わないで、私が退院して出てくるのを何ヶ月も待っててくれたんですよ。退院して、家で静養して、あと1週間で会社に出る、というときに電話がかかってきて、「中村さん、仕事の関係で今週どうしても欲しいんだけど、なんとかならない?」って言うんですよ。それで会社出てきて揃えましたよ。それから、入院している時に山下さんからでっかい花が届いて、そこに山下達郎と書いてあったものだから看護婦さんの間で大騒ぎになって、「この人誰なんだろう」って。 |
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-中村さんを信頼して全てを大事にしているんですね。
僕んとこに来てくれるのはうれしいですよ。「いや〜今月助かっちゃった、山下さん。来月もどうかひとつ」。「来月買うもんないよ」と山下さん(笑)。 大滝さんのところで10年くらいいっしょにやってとても勉強になったし、今は山下さんといい勉強になっていますね。 -大滝さんと山下さんの音のこだわりようってあるんですか? 2人とも中域ですよ。まずは中域をしっかり。 -試し聴きの時は何を使うんですか。Shadows ばっかり? 時期によって変わりますね。Shadows だけじゃないですね。「星空のブルース」をこの前は真空管のアンプで聴かせて頂いたりしましたが・・・。 僕はいわゆるポップスにハマッたことがなかったんですよ。1989年に初めて大滝さんの家でオーディオを聴かせてもらったんですが、大滝さんに初めてレコードを聴かせてもらったのが、アナログ盤で「Telstar」だったんです。オリジナル盤ですよ。それがとてもいい音で鳥肌モノでした。ステレオっていうのはある程度のモノで聴かないといい音にならないんだなあと思った。「装置のアーティスト」というのも必要なんだなあと思いました。それからはこっちもギターインストのCDを買いまくり(笑)。 大滝さんの家で、次に聴かせてもらったのは、Shadows、そして The Spotnicks の「Amapola」。 |
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-大滝さんはもともとギター・インスト好きですけど、何故、中村さんに歌モノでなくてギター・インストを聴かせたんでしょうね。
それはおそらくその時の大滝さんのシステムがギター・インストが一番いい音だったんだと思う。それを僕に聴かせたかったんだと思う。 僕はずっとジャズを聴いてきた人間なんですが、先にロックを聴いていた方が良かったかもしれませんね。また違った聴き方が出来たような気もします。大滝さんに言わせると「ロックは骨だけ」だと(笑)。だからいいんですね。 私と大滝さんと山下さんと5歳ずつ違うんですね。5年というのは音楽を聴く上では大きな差ですよね。5年のスパンで音楽が動いちゃうんですよ。僕が聴き始めの頃ってやっぱり Elvis Presly なんですよ。大滝さんは早熟だったから Presly だったんですね。僕らの頃は本当に良い時代に生まれたと思います。モダン・ジャズの隆盛も知っているし、Beatles のキャーキャー騒ぎも知っているし。Beatles と言えば思い出すんですが、僕はそのころ池袋に先輩と下宿していたんですけれども、食堂の横にお風呂があるんですよ。若い娘さんが二人いるんですが、僕らが食堂で飯食っているじゃないですか。ラジオをつけっぱなしにしていて Beatles が流れてくるとその娘さんがすっぽんぽんでお風呂から出て来ちゃうんですよ(笑)。Beatles つったらすっぽんぽん!(笑)。ホント抱きしめたいですよ(大笑)。僕にとっては Beatles ってなんてへたくそなドラミングっていう印象なんですが、でもこれはすごいバンドだなっていうんでレコードは買ってましたね。 -大滝さんもあれだけオールディーズは聴いてきたけど、やっぱり Beatles には心を奪われたということをおっしゃっていましたね。 大滝さんとお付き合いするようになってから、僕もただの電気屋なんだけどいろんな音楽を自然に聴くようになりましたね。大滝さんとはそういう意味での共通点があったんだと思いますね。クレイジー・キャッツを聴いていたときに「このバリトン・サックスは砂原(俊三)さんだ、今どうしてるんだろう」、「えっ、砂原さん知ってるの」ということがあって。 -お亡くなりになられた・・・。まさに、大滝さんのバックでもやってらした方ですね。 それ知らなかったんですよ(笑)。彼のバリトン・サックスがすごく好きだったんです。当時ニューハードというバンドにいて、いろいろと話もしていましたから。そういうこともあって、「砂原さんのバリトン、音で分かるの?」「ええ、分かります」みたいな。 -そういう共通したものがあったから、オーディオを通して長いこと大滝さんとお付き合いしてこられたということもあるんでしょうね。 そうですね。 |
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