2014.02.30 - 追悼大瀧詠一 | ||
夢のディープ・パープル
Nino Tempo & April Stevens (1963) |
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大瀧詠一さんの追悼特集をされているということで、サーカスタウンのスペースをお借りして書かせていただくことになりました。
【いちょうの実の僕ら】
大瀧さんが亡くなったと聞いたのは、大晦日夕方のラジオ放送でした。
その瞬間、宮澤賢治の表現を借りるなら、「氷のようにつめたいすきとおった風」が心の中をゴーッと通り抜けていきました。大瀧さんを “分母” として慕っていた大瀧ファンは、いわば千人の黄金色の「いちょうの実」、大滝又三郎に促されて、いやが王でも長嶋でも(by 伊藤銀次)、みんないっしょに旅にたつことになりました。
大瀧さんの音楽や発言、存在は、自分個人の “記憶” と密接に結びついていて、今でも “約分” にキリがなく、ネット上での追悼ツイートや思い出話もなかなか “通分” しきれずにいます。時には「大瀧さん、突然亡くなるなんて、粗忽が過ぎますよ。」とボヤキたくもなります。突然なので、ご本人も気づいてないかもしれないので、亡くなったことをメールで丁寧にお知らせしてあげたら、あわてて、アミーゴガレージの怒涛の更新してくれるかも、とかショーもないことも考えました。
ズビズバ館に投稿するネタだって用意してました。「上原のレッドソックスでの応援歌は、「シー・クルーズ」」ってものです。
もし、採用されたとしたら「野茂の「HIDE〜O」もありましたネェ」とか「イチローはヤンキース行く前から応援歌は「Yankee Doodle」でしたヨ」とか、大瀧さんの返しまで予想していました。
【Side2】
そんな大瀧さんのいない “Side2” と向き合い、2か月が過ぎました。
1月は、マット・モンローの「Softly As I Leave You」などのスタンダード曲をよく聴きました。この時点では、大瀧さんの歌を直接聞く体力がなく、違う人の曲を大瀧さんの歌声に頭の中で変換しながら、少しづつお別れをしていました。
1月23日には、たかはしかつみさんと2人で “霧の中のメモリーズ” による<ゴーゴーナイアガラ・データベース「各自で」 >の運用を始めました。データベースの名前を決めるにあたって「ゴーゴーナイアガラ・データベース(Let's Go Study Again)」、「笛吹角次」などの案も出ましたが、かつみさん発案のシンプルな名前としました。少し時間をかけて構築をとも思っていましたが、武蔵小山のカフェ・アゲイン店主、ニーチ氏から早めの運用について、だいぶハッパをかけていただきました。たしかに「レコード盤、針を落とさにゃ 音でない」です(^_^;)。
このデータベースは、旅立ち前の最終更新を忘れてしまった大瀧さんに対する追悼であり「大滝さんからもらった謎を、ずっと解いていこう。」という決意の一環でもあります。
【2月になれば】
2月になって、大瀧さん自身の音楽やゴーゴーナイアガラでかかった曲を日常生活で聴きはじめました。
大瀧作品は、僕ら「いちょうの実」にあらんかぎりのかがやきを投げかけています。そして、データベースに “記録” されている曲は、作品を作り上げた大瀧さんの思考過程の “記録” でもあります。
たぶん、これから「大瀧詠一作品研究」という名の元ネタ探しが進み、「各自」による研究成果披露があちこちでなされることになるでしょう。データベースに記録されている情報はその基礎情報となると思います。自戒を込めながら書きますが、今後の研究が、細部のメロディや歌詞の類似性、あるいは本人の出自・経歴にこだわりすぎることがないといいなぁと思います。データを重視し、正確性を期すあまり、残っている音源や言葉のみにコダワルとなかなか本丸にはたどりつけない。探す前からどこに謎が埋まっているかを決めつけない、つまり、ラジオで取り上げられた曲を「正解」とはせず「ラジオで取り上げられた曲にも可能性がある。取り上げられなかった曲にも可能性がある。ヒットした曲もいい。ヒットしない曲でもいい曲はある。いい曲はいい。」という観点で全方向約分精神で臨まねばと思っています。大瀧作品は自分の探究心と音楽を含む文化全般に対する理解を試す「貝の火」なのです。
ただ、リストを見るとわかるとおり、DJイーチオータキは、オリジナルとカヴァーを続けてかけることが多く(サーチャーズの回など「Someday We're Gonna Love Again」をはじめ、ほとんどが2曲づつかけて根問いを行っているし、リバー=ストーラーの回では「Fools Fall In Love」をSammy Turnerなど3曲続けてかけている)、作家、大瀧詠一は曲に対する愛情を、自分流に解釈して作品に仕立てているわけですから、ポップスに対する愛情、思考回路の傾向分析はできます。そういう意味では、データをうまく使うことが謎解きをするときのヒントになると思っています。
そんな2月に僕が一番よく聞いたのは「夢で逢えたら」でした。
【うすむらさき色の謎を追え】
「夢で逢えたら」は、カヴァーも多く、ブログやHPでもあちこちで紹介されていて、本当に愛されている曲だとおもいます。お葬式の時には本人が歌うバージョンが流れたということもどこかでみかけましたし、本人の思い入れも強い曲だったことがうかがい知れます。
これまで「夢で逢えたら」の分析といえば、大瀧さんが言及した、語りの「枕抱えて眠っているの」が都々逸の “柳家三亀松” というものと、最初がシレルズの「Foolish Little Girl」というものぐらいでしょうから、謎解きのしがいがあります。
ちょっと調べた方なら、都都逸に加えて、小唄「春風が そよそよと」というのも見つかります(^_^)v。
これまで数えきれないほど何度も聞いてきたこの曲ですが、あらためて歌詞を意識してみて、1つ気になることがでてきました。それが「うすむらさき色した深い眠り」ってどんな眠りなんだろう?という疑問です。
「江戸むらさき」でしたら、助六の鉢巻で病気で寝込む、あるいは、桃屋で “今日も元気だ ご飯がうまい” ということで、食べ過ぎて寝たと推測できるのですが、今回は「うすむらさき色」です。「夢」自体にもカラーと白黒があると言われていますが、「眠り」に色があるのかとなると、医学や心理学のそのスジの人にお話しを聞かないといけないでしょう。どんな色の眠りなんだろう?と、気になりだすと、気になって気になって、夜も眠れず、昼寝です。
ここではむらさきを選んだ心理的背景を紐解くというような大げさなことでなく、単純に「ポップスに出てくる色」というコンセプトから深読みしてみることにします。たとえば、詩人、松本さんは、いつもその時の風景にあった、 “らしい” 選色をします、「蜜柑色」、「茜色」、「菫色」、「ブロンズ色」、「夜明けの色」に「切ない色」。そして、セクシャル「バイオレット」No.1。大瀧さんは後ろに「〜色」のつかない直接的な色を好みます。「紅と白」、「Blue Valentine」、「青空」、「紅い灯影」、「青い夜霧」。〜色とつくのは「瑠璃色」ぐらいでしょうか、そして、十人十色(^_-)。
当時ヒットしていた曲が潜在的に頭に残ってた可能性があるので、少し探してみました。吉田美奈子「夢で逢えたら」は、1976年3月25日発売。その前あたりで見つけだせたのは布施明の「シクラメンのかほり」(1975年4月10日発売、小椋佳作詞・作曲)です。この曲は3番に「うすむらさき色した、シクラメンほど♪」が登場します。大ヒットしていた曲ではあるものの、花の色と眠りの色を結びつけるのは強引かなと思います。
日本の古い歌の引用という見立てで探してみると、代表的なのは、東海林太郎「むらさき小唄」、灰田勝彦「紫のタンゴ」でしょうか。以前、灰田勝彦の新雪の出だし「紫けむる新雪の〜♪」で “紫” 問題について考えたことがありました。その時の結論は、式部、醤油、宇宙人。そして「紫雲たなびく」にみられる「仏が乗って来迎する雲」にも話が及びました。
【夢のディープ・パープル】
今回、僕が「夢で逢えたら」のコンセプトにしているではないか!とおもったのは、そこでもあげている「Deep Purple」です。この曲はスタンダード曲ですが、アッカー・ビルクのものなどをよく聞いていますが、一番好きなのは Nino Tempo & April Stevens のバージョン。少し脱線しますが、この曲は、最後の方でウォッともホッともつかない掛け声が入りますが、あれはBB5「The Man With All The Toys」に影響が伝わっていると思います、いかがでしょう。ブライアンものちに「Deep Purple」はカヴァーしているので意識していてもおかしくないかなと思います。
Nino Tempo & April Stevensというと、シリア・ポールの「Whispering」を歌っている姉弟デュオ、というような「枕」言葉とともに使われることが多く、ニューヨーク州 “ナイアガラ” フォールズ出身ながら、ナイアガラファンにそれほど評価が高くないようですが、僕は好みです。特にニノの声は味があって、噛めば噛むほどです。
今日の1曲
曲の出だしは、
「When the deep purple falls over sleepy garden walls
And the stars begin to twinkle in the sky
In the mist of a memory you wander back to me〜♪」ということで、
深い深い紫色のとばりが眠たげな庭の壁に迫りくると、霧立つ想い出、記憶の靄の中から君が現れて、僕のもとにワンダラー(By Dion)という、霧の中のメモリーズにもピッタリの歌詞なのです(^_^)。
「deep puple」と「うすむらさき」
「falls over」と「眠りに落ち込み」
「you wander」と「わたしは(あなたを)探している」
が呼応しているようにも思います。
で曲の展開で転調の具合もそういう夢具合がぴったりです。
もしこの考えが的を得ていたら、「うすむらさき色した深い眠りって、意味があるというより「deep purple」からの連想ですか?」って訊いたら、「そんなの当たり前じゃん、俺はタコウエの男だよ。」と返されそうです。
調べてみると「Deep Purple」は吉田美奈子の「夢で逢えたら」が出る直前の1976.3.7に紀伊国屋ホールでデュエットで歌っているようで、大滝さんも気に入っていたに違いありません。
【夢の枕】
大瀧さんは「夢」が好きだったように思います。
特に、希望系よりまどろみ系がお好きなようで、「真夏の昼の夢」のように音楽を聞きながら、ゆったり昼寝をしながら夢見ることを望んでいるように思います。「夏のリヴィエラ」では、MARTHA LAVENDER(コレ、大瀧さんの変名とにらんでいる)作詞で「So close your eyes and just dream on」と夢を追加していますが、夏の夢にかけたのかもしれません。
もともと、ポップスの世界に夢はつきもの。昨年のNHKの朝ドラ、あまちゃんでも取り上げられた「いつでも夢を」のような希望系、「夢であいましょう」のまどろみ幻想系も色々あります。
題名でなく、詞の中に夢がでてくる曲となると「東京の屋根の下」や「東京ラプソディ」、チャド&ジェレミーの「A Summer Song」の最後「and dream of you」の繰り返し、はにかみやがしくじったり、「幸せな結末」で二人で描いたり、夢数いや、無数です。
データーベース<各自で>で「dream、dreamin'、dreamer、夢」を検索すると、1975.07.01の「The Dreamer」Neil Sedakaから始まって、「What A Wonderful Life (Follow That Dream)」Elvis Presley、「Dream Boy」Robin Ward、「Dream Lover」Bobby Darin、「All I Have To Do Is A Dream」The Everly Brothersとならび、1977.05.31には、「Dream」のつく曲をずらりと特集していますので、お試しください。
そのデーターベース検索でヒットした曲に、Hank Locklinの「Send Me The Pillow You Dream On」があります。僕が一時期はまっていただぁいすきな曲ですが、この曲の歌詞は少し未練があり、「夢で逢えたら」の世界に近いように思います。