2016.07.18 - TV Program
『上を向いて歩こう 中村八大こころのうた』 『上を向いて歩こう 中村八大こころのうた』
永六輔、中村八大

(1992)

僕からも永六輔さん、そして、中村八大さんのことを。

1992年6月10日に中村八大さんが亡くなった(享年61才)その4日後の6月14日、NHK総合テレビで中村八大さんを追悼する番組『上を向いて歩こう 中村八大こころのうた』が放送されました。
司会と進行は、永六輔さん。貴重なVTRを交えて、中村八大さんの音楽の足跡を辿る番組でした。

その番組で覚えていることを書いてみると....、

まだ早稲田大学在学中の永六輔さんは、同じ早稲田大学出身の中村八大さんの熱烈なファンで、中村八大さん達のジャズ・バンド"ビック・フォー"(ピアノ:中村八大、ドラムス:ジョージ川口、テナーサックス:松本英彦、ベース:小野満)の"追っかけ"をしていたこと。

放送作家として駆け出しだった永六輔さんに有楽町の日劇(現在の有楽町マリオン)で突然、中村八大さんから「ねえ、君、ちょっと歌の詩を書いてみない?」と声をかけられ、緊張して中村八大さんの自宅を訪れたこと。

「こんにちは赤ちゃん」の詩は、元々、中村八大さんの長男が生まれた日のことに感動して、八大さんから見た"パパ目線"で書いたのに、梓みちよさんが歌う段になって、八大さんに"ママ目線"で全面的に書き直させられたこと(笑顔)。

「上を向いて歩こう」を歌った坂本九がロカビリー風に歌ったことが気に入らなかった永六輔さん。後に坂本九の実家に訪れた時、坂本九の母親が小唄をやっていて、その母の影響で小唄の歌い回しから派生した歌い方だと気づき、感心したこと。

上を向いて歩こう(永六輔、中村八大)/ 坂本九 (1961)


中村八大さんと一緒に日本各地を旅して、小学校の廃校を利用した小さなコンサートをやった思い出。照明は車のヘッドライトだったそうです。

永六輔さん、それまでずっといつものように早口で喋っていたんですが、その辺になると、天井を仰ぎみて、喋っているんです。
途中、声を詰まらせ、我慢して.....。

永六輔さん、"涙がこぼれないように"、上を向いて、ずっと喋り続けました。

その姿をみて、こっちはもうギブアップ。
溢れ出る涙を止めることができませんでした。


この追悼番組の最後の曲は「涙をこえて」でした。作詞は永六輔さんではなく、かぜ耕士さん。使用VTRは1974年の『ステージ101』の最終回。
中村八大さん、永六輔さんの全盛期にはちょっと間に合いませんでした。司会は黒柳徹子さんもやっていましたね。樋口康雄さんなど優秀な音楽家も輩出した『ステージ101』。今考えると貴重な番組だったと思います。その最終回が残っています。

涙をこえて(かぜ耕士、中村八大)/ ヤング101 (1974 NHK [ステージ101] 最終回)

当時、ヤング101のメンバーだった太田裕美さんの姿も見つけることができます。かわいいです(笑顔)


NHKテレビ番組『上を向いて歩こう 中村八大こころのうた』は現在、横浜の放送ライブラリで観ることができます。




(富田英伸)

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