達郎書き起こしプロジェクト by ロック軍曹とサーカスタウン1998/11/01 Sunday Song Book「History of Japanese Rock, Part 1」
竹内まりや/カムフラージュ 1998/11/18発売予定 Single *1
小坂一也/ハートブレイク・ホテル 1956.6 *2
平尾昌章/恋の片道切符 1960.2 *3
山下敬二郎/ダイアナ 196? *4
ミッキー・カーティス/ブルー・スェード・シューズ 19?? *5
飯田久彦/ルイジアナ・ママ 1961.12 *6
森山加代子/月影のナポリ 1960 *7
ダニー飯田とパラダイス・キング/シェリー 1963.2 *8
弘田三枝子/ヴァケーション 1962.10 *9
坂本九/すてきなタイミング 1961 *10
中尾ミエ/可愛いいベビー 1962.5 *11
藤木孝/24000回のキッス 1961.6 *12
尾藤イサオ/悲しき願い 1964 *13
荒木一郎/今夜は踊ろう 1966.10 *14
加山雄三/BOOMERANG BABY 1966 *15
*1 村沢さん他のリクエスト
*2 日本で最初にエルヴィスをカバーしたレコード。Japanese Rock の原点。
*3 オリジナルはニール・セダカ
*4 オリジナルはポール・アンカ
*5 オリジナルはエルヴィス・プレスリー
*6 オリジナルはジーン・ピットニー。本国ではまるで流行しなかった。
*7 オリジナルはミーナ
*8 オリジナルは4シーズンズ
*9 オリジナルはコニー・フランシス
*10 オリジナルはジミー・ジョーンズ
*11 オリジナルはコニー・フランシス
*12 オリジナルはアンドリアーノ・チェレンターノ
*13 オリジナルはアニマルズ
*14 デビュー・ヒット。
*15 日本のオリジナリティのあるロックンロールの草分けである。
内容の一部
・ツアー、今週は 11/2, 3 大阪(2度目)、11/6 金沢。
・今週から6週の予定で「History of Japanese Rock」特集を放送。
ロックンロールに影響を受けた日本のロック、フォーク、ポップスの歴史を
駆け足でたどってみる。今週は「黎明期」ということで1950年代後半から
1960年代中盤までの、カバーポップス(外国の曲を日本語でカバーする)を
とりあげる。
・もともとロックンロールはアメリカで生まれた音楽。50年代中期くらい
から全世界に波及し、今や戦後音楽文化もっとも主流となっている。
それまでの音楽にくらべて音楽的に非常に単純。誰でもすぐできる、歌える。
十代向けの一番多感な世代にアピールするための音楽ということもあって
あっと言う間に世界中にひろまった。日本も例外ではなく第2次世界大戦に
負けてアメリカに占領されたので文化的に非常にアメリカの文化がはいって
きたのであっと言う間に日本中にひろまっていった。それから30数年たって、
今では日本の音楽の主流になっている。
・ロックとは何かという質問がよくあるが、そういうのはいくらでも本屋に
行けば本が出ているので、その辺の説明はできない。ロックがすべての音楽
のはじまりでもないし戦前から他にもいろんな音楽があるが、そいうものと
の関連性を番組で話す余裕はない。
・もともとは英語文化圏のために作られた音楽がどのようにして日本語がのって
日本のための音楽形式に変遷してきたかという歴史を中心にすすめる。
・ロックンロールはアメリカに誕生したのは50年代中期、最初に生まれた
ビッグスターはエルヴィス・プレスリー。日本でも同様。エルヴィスは南部の
白人なのでカントリー&ウェスタン(C&W)の要素が少しある。そうしたロックと
ヒルビリー(C&Wの一種)をくっつけて「ロカビリー」という用語ができた。
日本で最初にエルヴィスにとびついたのは、それまで C&W をやっていた人達。
これからはロカビリーだということで、カントリー畑の人達がエルヴィスに
代表されるロカビリーに飛びついた。
・50年代中期から60年代に向けての数年間はロカビリーの大ブームが日本で
あり、そんな中から最初の日本のロックのスター「ロカビリー3人男」と呼ば
れる3人のスターが生まれた。
平尾昌明、山下敬二郎、ミッキー・カーティス
歌っている曲はほとんど当時のアメリカのヒット曲のカバーだった。
人によっては日本語の歌詞がついている。ミッキー・カーティスは全部英語で
歌っている。ロカビリーは輸入音楽なのでもともとは英語の詞だったが日本人
のためにやっていることで、英語でやっては意味が良くわからない。段々と元
のヒット曲に日本語の詞をのっけて、訳詞ポップス、カバー・ポップスとも言
うが、日本語で歌われた洋楽カバーが段々主流になってきて、大ヒットが生ま
れて来るようになった。
・飯田久彦さんのコメント
高校の先輩が坂本九、ジャズ喫茶で人気があるので見に行ったのが音楽の世界
に入るきっかけ。ジャズ喫茶でバンド・ボーイの手伝いをしていて、カントリー
が好きだったので、ハンク・ウイリアムスの歌を歌っていた。それがたまたま
レコード会社のプロデューサーの目にとまって、用意されたのがデビュー曲の
「悲しき街角」('61.4)。最初「Runaway」という曲がなんで「悲しき街角」と
いうタイトルがつくのか不思議に思った。「ルイジアナ・ママ」も漣健児さん
が詞をつけたが、訳詞家という名の作詞家だと思った。アーティストのキャラ
クターだとか声質などか、時代背景、リズム、メロディーにあわせて詞を考え
た。英語の詞とあんまり無関係では困るので、ある程度雰囲気で詞を作られた
と思った。
同時録音だったので、間違えるとやり直しなので良く怒られた。今でも気になっ
ているのは最後の「from New Orleans」の部分がうまく歌えなくてもっと英語
の勉強しておけばよかったと後悔している。
・この頃はアメリカ・ヨーロッパの歌に和訳の日本語をのっけて歌うという和製
ポップスの全盛期だった。訳詞をした方から岩谷時子、安井(南)かずみ、漣健
児がいる。訳詞ポップスなので、人によって詞が違っている場合もあった。
・藤木孝、尾藤イサオの曲は、かんべ・たかお訳詞。
我々の作詞の原点は、このころの言語感覚に左右されていると思う。
この辺がロックンロールというかもっとパンクな感じで達郎さんが好きなもの。
・日本語のオリジナル・ソングを作ろうとした動きがビートルズの出現によって
でてきた。アメリカの60年代ポップスがビートルズなどの British Invasion
によって、イギリスのビート・グループの上陸によりがらっと変わったの同じ。
60年代中期にオリジナル・ソングが登場してくる。その代表が荒木一郎、加
山雄三。
・加山雄三さんのコメント
昭和35年にデビューした当時の音楽の事情は、日劇でロック系のものだと
称してやっていたのが山下敬二郎。日本語でロックを歌っているアホがいるな
んて聞いていた。そういうのを見たり聞いたりしてなんて下手くそでどうしよ
うもないと学生のいきがりで思った。おれたちは無名だけども比較にならない
ほどうまいんだという自負があった。そのうち出ることになって、映画の中で
やるようになったら、自分がそう言われる時代がくるんだという予感がして、
案の状そうなった。
その当時は演歌/流行歌が全盛期で、春日八郎さんの「別れの一本杉」だとか。
ロックなんて輸入されたもんだという感覚で、カントリー&ウェスタンもそう
だし、ジャズはもっと早かったかな。その後ハワイアンみたいのもあった。
どこの国の音楽かわからないようなものを作って首をつっこんだのがはじまり。
デビューの頃には「恋は紅いバラ」とか。一番最初に出したアルバムは全部自
分で英語で作詞・作曲した。インストはエレキを弾いたり当時としては「素人
にしては上出来だ」という雰囲気でやってきたけど、それを尾をひいて今でも
思い出したようにエレキを弾いたりしている程度。そんな感じだね。
・Part 1は、「日本のロックの黎明期」。和訳ポップスからオリジナル・ソング
へのとっかかりまで。来週はオリジナル・ソングがだんだんヒットして、オリ
ジナル・ソングになるにつれて、芸能界の既成の流れと合体してまたさらに大
きな流れになった。その一つがグループ・サウンズ。もう一つの流れがフォー
ク・ソング。この2つの流れを中心に60年代後半の History of Japanese
Rock をやる予定。
circustown.net による放送書き起こしです。文責 circustown.net。抜け誤りはお知らせください。
Copyright (c) circustown.net 1999 - 2006, All Right Reserved