達郎書き起こしプロジェクト by ロック軍曹とサーカスタウン1998/11/08 Sunday Song Book「History of Japanese Rock, Folk & Pop Part 2」
竹内まりや/カムフラージュ 1998/11/18発売予定 Single
ブルー・コメッツ/青い瞳 1966.3 *1
タイガース/シーサイド・バウンド 1967.5 *2
スパイダース/バン!・バン!・バン! 1966 *3
テンプターズ/神様お願い! 1967 *4
ゴールデン・カップス/銀色のグラス 1967.11 *5
モップス/朝まで待てない 1967.11『サイケデリック・サウンド・イン・ジャパン』 *6
マイク真木/バラが咲いた 1966 *7
森山良子/この広い野原いっぱい 1967
高石友也/受験生ブルース 1967 *8
フォーク・クルセダーズ/悲しくてやりきれない 1968『紀元一弐阡年』*9
五つの赤い風船/遠い世界に 1969 *10
ジャックス/マリアンヌ 1967『ジャックスの世界』*11
高田渡/自衛隊に入ろう 1967
*1 1stヒット。
*2 すぎやまこういち作曲
*3 #当初は「バン!・バン!」だったという説がある。
*4 2ndヒット。1968.3月説がある。
*5 横浜出身。Blues Rockに定評があった。
2ndヒット。橋本淳作詞、鈴木邦彦作曲
*6 鈴木ヒロミツ、星勝が在籍。1stヒット。阿久悠作詞、村井邦彦作曲
アルバム発売は1968年
*7 作詞、作曲は浜口庫之助
*8 作詞は中川五郎
*9 加藤和彦、北山修、端田宣彦の三人組
*10 西岡たかし率いるグループ
*11 フォークルと並び称されるグループ。フォークともロックとも分類できな
いが、今もカルトなファン多い。
リーダーは早川義夫。アルバム発売は1968年。
内容の一部
・ツアーは今週は東北ツアー第2弾。郡山(火)、岩手(木)、仙台(日)、山形
(月)の順。
・まりやさんの「Winter Lovers」は(田上さんからもリクエストがありました
が)、発売日までラジオでのOn Airはないとのこと。
#すでにTV-CMでは流れてますね。
・「History of Japanese Rock Part 2」は60年代のグループサウンズとフォー
クソングの特集。
・1960年代半ば、日本のロックは、それまでの訳詞によるカバーポップスから
日本のオリジナルソングへとスタイルががらっと替わって行く。その大きな
きっかけとなるのが、一つは何と言ってもBeatlesの出現、そして日本では
異常なまでのブームとなったVenturesを中心とするエレキブームである。
これにより歌手主体からバンド主体となる。66年の末からグループサウンズ
(通称GS)と呼ばれる流れが一世を風靡し、わずか3年ちょっとで盛り上がっ
て消えて行った。
・GSはいわゆるボーカル・インストゥルメンタル・グループの形式であり、何
百というバンドが生まれ、百近いバンドがレコードを出したが、2曲以上の
ヒットがあるのは10ぐらい。完全に一過性のブームだったが、最近再評価
の動きが着々と進んでいる。
・ブルー・コメッツとスパイダースがGSの元祖である。ブルコメは「青い瞳」
がデビューヒットだったが、翌67年に「ブルー・シャトー」でレコード大賞
受賞。サックス・リードボーカル・作曲を担当した井上忠夫さんはここから
わずか4曲でレコード大賞まで直行した、というこの時代の流れの凄さ!
・タイガースは日本のGSの流れを決定づけたグループ。日本のビートルズがタ
イガースなら日本のローリングストーンズはテンプターズと呼ばれた。「神
様お願い」はあまたあるGSの曲で最も楽曲的に優れている物の一つだと思う。
・ロカビリーから始まるロックは既成の歌謡曲/芸能界とは違う流れで生まれ
て来た。何しろ教育を受けなくてもギターコードを3つ知っていればすぐ音
楽やバンドが作れてしまい、それがロックのいいところ。60's中盤にバンド
が若者に受けると当然芸能界が放っておかなかった。しかし自然発生的なミュー
ジシャンなのでヒットを生むのが難しく、そこで既存の作曲家による作品を
歌わせようとした。これで既成の芸能界の匂いがロックに結び付くという日
本独特の現象が起こり、そこから産まれた鬼っ子がGSブームである。
・70's以降になると、日本語のロックが真のオリジナリティを身に付けるよう
になり、GSというのはあてがいぶちの曲、しかも歌謡曲のシステムに取り込
まれたロックとしてあまり長い間評価されなかった。しかしGSのバンドはど
れも、当時のクラブ/ディスコで40分7ステージ等をこなしたりしてたので、
ライブバンドとしては力量が高く超一流だった。70'sには演奏する奴より自
分で曲を書く奴が偉いというような、妙なクリエイター願望が裏目に出て、
ロックンロールの肉体性が失われてしまった。そういう側面からの再評価が
行われるのは大変いいことだ。
・60's中期、アメリカではロックンロールとは別の重要なムーブメントとして
フォークソングが登場した。主に東海岸、NYなどの大学生が激化するベトナ
ム戦争を背景として反戦歌をギター一本で歌うFolk Song(俗にHootenannyと
いう)運動が盛んになった。それが日本に流入するようになった。(何でも向
こうの真似なんです。今でもおんなじですけど。)ギター一本で表現できる
ことで大きな影響力を持つようになった。
・日本のフォークソングの発祥はマイク真木、森山良子らと言われているが、
厳密なフォークのムーブメントは全然別の形から出て来ている。その重要な
ファクターとして1967頃から始まったラジオの深夜放送が挙げられる。これ
はそれ以前には無かったものであり、高度成長期、大学・高校受験の激化に
伴い受験生の為の番組を作ろうというのが深夜放送の発祥。これが音楽に影
響を与えた。折からの政治の季節(60年安保、70年安保)と深夜放送と音楽が
結び付いてフォークソングとなり、主張を持った音楽(メッセージソング、
プロテストソング)が自然発生的に出て来た。これが今のフォークの主流と
なる流れの始まりである。
・中川五郎氏のコメント
67年頃から人前で歌うようになり、当時のアメリカのフォークを訳して歌っ
ていた。同じ歌を別に訳して歌う人がいると聞き、それが高石さんだった。
彼のコンサートに出かけて話をしたところ、一緒にやらないかという話になっ
た。彼に連れられフォークの集会やコンサートに出るようになった。丁度高
校生だったので当時の受験戦争が滑稽に思え、Bob Dylanの'North Country
Blues'を訳して「炭鉱町のブルース」を歌った真崎義博さんが居た「Boro
Dylan」が関西でちょっとした人気だったので、それを替え歌にした「受験
生のブルース」というのを作った。これが高校生や受験生に受けてレコード
化の話になり、トラディショナルな曲の替え歌なのでオリジナルにした方が
いいということになり、高石さんが軽快な曲を付けた。当時「帰って来たヨッ
パライ」が話題になっていたのでコミカルなアレンジが施されたのが不満だっ
たが、シングル化されて、すごく有名な曲になった。
・政治の季節と自然発生的な歌作りとからみあって、既成のレコード会社では
そうした音楽が作れなくなることから、自分達でレコードを作ろうという動
きになっていった。いわゆるインディペンディペンデント・レーベルの始ま
りであり、ここからURC、エレック、ベルウッドという三大フォークロック・
レーベルが生まれた。パート3ではこれらのレーベルで作られた名曲の数々
をかける予定。
今後の予定ですが
・11/15はFM仙台から「棚からひとつかみ仙台編」。日本のロックなどをかけ
る模様。達郎氏曰く「仙台には昔なじみの人とかいるので」
・11/22は「History Of Japanese Rock Part3」。
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