達郎書き起こしプロジェクト by ロック軍曹とサーカスタウン

1999/01/24 Sunday Song Book「History of Japanese Rock Vol.6」



竹内まりや/Winter Lovers 1998 Single c/w「カムフラージュ」
鈴木茂/砂の女 1975『Band Wagon』
(BGM)鈴木茂/スノー・エクスプレス 1975『Band Wagon』
(BGM)Tin Pan Alley/Ballade of Aya(アヤのバラード) 1975『キャラメルママ』
Three Degrees/ミッドナイト・トレイン 1974 Single c/w「にがい涙」*1
小坂忠/しらけちまうぜ 1975『HORO』*2
吉田美奈子/週末 1973『扉の冬』
細野晴臣/北京ダック 1976 Single *3
大貫妙子/都会 1977『Sunshower』*4
鈴木慶一/火の玉ボーイ 1976『火の玉ボーイ』*5
矢野顕子/丘を越えて 1976『Japanese Girl』
大滝詠一/論寒牛男 1975『Niagara Moon』

*1 日本録音。松本隆作詞、細野晴臣作曲、矢野誠編曲。
林立夫(ds),細野晴臣(b),矢野誠(kb),鈴木茂(g)。
A面は筒見京平作曲、安井かずみ作詞、深町純編曲。
*2 松本隆作詞、細野晴臣作曲。山下達郎コーラス参加。
*3 シングルバージョン。
2ndソロ『Tropical Dandy』(1975年)収録版とはミックスが違う。
*4 2ndソロ。坂本龍一編曲。
*5 林立夫(ds),細野晴臣(b),佐藤博(kb)。
1st ソロアルバムだったが、ワーナーパイオニアから鈴木慶一とムーンラ
イダース名義で出された。それでライダーズ以外にもラスト・ショーやティ
ン・パン・アレーがバックをつとめている。
(#確か現在は鈴木慶一名義のアルバムになっている筈)

#今回は名盤だらけじゃー。

内容の一部
・ツアーは25(Mon)宮崎、28(Thu),29(Fri)鹿児島。九州ツアーのファイナル。

・「Winter Lovers」プロモグッズプレゼントの告知。

以下、「History of Japanese Rock」の内容。特記していない箇所は達郎氏の
コメント。

・今回のテーマは70年代中期、はっぴいえんどから分派した2つの流れ、細野
晴臣氏を中心とするティン・パン・アレーと、大滝さんのナイアガラレーベ
ル(ほんの触りだけでしたが)という自分史と密接に結び付く流れを紹介する。
題して「ティン・パン・アレーとナイアガラの時代」。

・鈴木茂氏のコメント
「当時、ティン・パン・アレーや、後にハックルバックの結成など様々な活
動をしていたが、『Band Wagon』を作るきっかけは、ティン・パン・アレー
の活動に嫌気がさして来た。人のバックばかりやることに不満を感じていた。
自分は音のドライブ感というか、ドラムの音に気を使っている。林君や細野
さんもすばらしいが他の人ともやってみたかった。そこで、以前はっぴいえ
んど時代にLAでコーディネイトしてくれた人を頼った。しかしリストアップ
したミュージシャンが一人もつかまらず、10日間くらいハリウッドの町を
ぶらついていて、そのまま日本に帰るつもりでいたら、たまたまサンフラン
シスコにコーディネーターの友達からDoug Rauch(元Santana Band)という
Bassistを紹介してもらった。一人見つかるとどんどん見つかるので、レコー
ディングなんてうまくいく時はこんなもんかなと思った。最初の1週間はク
ラウンレコードから最初の60万を貰い、SFで録音が終った後200〜300$払っ
たりした。『Band Wagon』は偶然が重なってできたアルバムで、SFで5曲作っ
た後に、LAでLittle Featと残りを完成させた。」

・はっぴいえんどが日本語で歌うロックに与えた影響が大きいが、スタジオで
レコードを作るノウハウを発展させた意義も大きい。特に細野晴臣氏のキャ
ラメル・ママ(はっぴいえんどからは細野(b),鈴木茂(g)、小坂忠のバックバ
ンドのフォー・ジョー・ハーフからは林立夫(ds),松任谷正隆(kb)の4人)が
73年に結成され、数年経ち、日本のスタジオ・ミュージシャンとして、日本
のロックとフォークの枠を越え、歌謡曲など既成のマーケットのレコード製
作にまで深く関わっていくようになった。こうした仕事がキャラメル・ママ
だけでは担いきれなくなり、これを発展させて「ティン・パン・アレー」と
いう抽象的なプロジェクトにした。なんとなく細野さんとキャラメル・ママ
の周りに集まって来た演奏家集団を総称して、そう呼ぶようになった。

・『Band Wagon』はキャラメル・ママと並行して、鈴木氏が単身渡米して現地
で直接交渉して作ったもので、当時としては海外レコーディングの走りだっ
た。自分など当時の20代頭の世代に影響を与えた。

・ティン・パン・アレーの関わった仕事には、いしだあゆみなどの日本のロッ
ク/フォーク以外の作品もあるが、その一つに洋楽のスリー・ディグリーズ
(Philadelpha出身の黒人女性3人組)。来日した当時、CBSソニーが日本のオ
リジナルをシングル化しようとしたプロジェクトがスタートし、その時にシ
ングルのB面を製作した。

・ティン・パン・アレーは1975年に「ファースト&ラスト・コンサート」とい
う全国ツアーを行ったが、演奏家主導の集団なので顔としてのボーカリスト
が居ないので、彼らと縁の深かった小坂忠氏が参加した。『ほうろう』は同
じ年にティン・パン・アレーのスタッフ総動員して作成したアルバム。当時
の学生の世代には熱狂的に支持を受けた。

・時代を前後するが、キャラメル・ママがスタートした時に関わった代表的な
作品がユーミンの『ひこうき雲』『ミスリム』だが、それと同時期に吉田美
奈子のデビューアルバムにもサポートしている。

・ティン・パン・アレーは、とにかくうまい。本当の意味で国際的に通用する
リズムセクションが生まれたのが70年代中期だったという事。技術的問題よ
りもオリジナリティ、表現力に優れた人達だった。ただ、はっぴいえんどの
頃から演奏家主導なので、ベンチャーズの60'sインストの流れに端を発する
「リードギター、次がリズムギター、次がベース、ドラムは別で、何もでき
ない奴がボーカル」という日本のロックのスタイルを究極にしたのが彼らだっ
たという印象を強く受けた。Sugar Babeの時にそういうことを発言して、凄
く嫌われた。

・ティン・パン・アレーという言葉は、20世紀頭、第一次大戦前のマンハッタ
ンに、音楽出版社が軒を連ねた一帯のこと。

・細野氏が立ち上げたティン・パン・アレーは、漠然とした演奏家集団、特定
のスタジオはなくて、強いて言えば東京という町にいる演奏家達がスタジオ
で模索する形。歌謡曲の時代には歌手がトップであり、業界以外には見向き
されなかった裏方に70'sの中期から注目が行くようになり、そうした時代の
ニーズが彼らを作ったとも言える。この辺は自分史と重なり、当時はコーラ
スする男はほとんどいなかったので、自分は大貫妙子、吉田美奈子とともに
コーラスの役割を担った。

・ティン・パン・アレーにはキーボードの人材が揃い、松任谷正隆、矢野誠、
佐藤博、そして矢野顕子も居た。彼女は二回目の(ティン・パン・アレーの)
全国ツアーでフィーチャーされていたと思う。当初は鈴木顕子という名だっ
たが矢野誠と結婚して苗字が変わった。1stソロアルバム『Japanese Girl』
はあまたある日本のロックとしてはオリジナリティという点で最高峰である。

・矢野顕子氏のコメント
「自分の居たフィリップス・レコードでは1年前にあがた森魚君が『日本少
年』を出して、他にもソー・バッド・レビューとか変わった人が多かった。
それぞれが好き勝手やっていた。矢野は更に好き勝手に作らせてもらい、デ
ビューアルバムなのにLAでLittle Featとやりたいと言って、今考えると法
外なことだが、三浦光紀という太っ腹なディレクターが『それでやりましょ
う』と言ってくれた。アーティストがやりたいことがはっきりあって、スタッ
フがそれを支持する時代だった。この曲はラジオやTVで藤なんとか(笑)が歌っ
ているのを見ていいなと思い、自分でやったら変拍子が勝手に入って気持ち
良かった。こういうのに付き合ってくれたのがやっぱしライダーズ。『日本
少年』に参加したのであがた君にも一緒に歌ってもらった。」

・ティン・パン・アレーに居た東京出身のミュージシャン達は高校時代からの
知り合いだった人ばかり。鈴木茂は、小原礼や高橋幸宏と一緒にバンドを組
んだことがあり、林立夫のフォー・ジョー・ハーフ時代のパートナーは後藤
次利。これらがYMOに継っていく。同じ町の子供達が集まって演るようなも
のであり、同時代にこれだけの数のミュージシャンが出たのも不思議なこと。
方や関西からは大村憲司、村上秀一、高水健二、佐藤博ら、いずれ劣らぬ優
秀な人達が東京に進出し、一大スタジオミュージシャン天国が70年代に築き
上げられた。

・はっぴいえんどから出発したもう一つの流れが、大瀧詠一氏が設立したナイ
アガラ・レーベル。ほとんど大瀧さんのパーソナルレーベル。ここにもキャ
ラメル・ママ/ティン・パン・アレーが深く関わっている。私だけがナイア
ガラに組みするというか(笑)、ティン・パンが新日でナイアガラがFMWとい
うか(笑)。三週間もやったので、今回はなめるだけ。看板に偽りあり(笑)。

・次回の「History Of Japanese Rock」第7回は、避けて通ることのできない、
一世を風靡した関西ブルースムーブメント、そしてロック御三家と言われた
原田真二、チャー、ツイストなどの歌謡曲と背中合わせとなるロックの本当
の意味でのメジャー化について。

今後の予定ですが
・99/1/31,2/7「History Of Japanese Rock」。



circustown.net による放送書き起こしです。文責 circustown.net。抜け誤りはお知らせください。


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