達郎書き起こしプロジェクト by ロック軍曹とサーカスタウン

2000/07/30 Sunday Song Book「Jerry Leiber & Mike Stoller特集 Part 2」



The Coasters/Yakety Yak 1958 *1
Ruth Brown/Lucky Lips 1957 *2
The Drifters/Dance With Me 1959 *3,4
The Drifters/Save The Last Dance For Me 1960 *3,5
The Drifters/Under The Boardwalk 1964 *3,6
The Cookies/On Broadway 1963 *7
The Crystals/On Broadway 1963 *7
The Drifters/On Broadway 1963 *8
The Cheers/Black Denim Trousers And Motorcycle Boots 1955 *9
Peggy Lee/I'm A Woman 1963 *10
The Seachers/Love Portion No.9 1963『Meet The Searchers』*11
Stealers Wheel/Stuck In The Middle With You 1973『Stealers Wheel』*12

*1 Atlanticレーベル。全米No.1
*2 Atlanticレーベル。R&Bチャートでベスト10。全米No.25。1963年にCliff
Richardがカバー。
*3 Atlanticレーベル。3曲メドレー。途中まで。
*4 「There Goes My Baby」に続くヒット。全米No.15。
*5 全米No.1。プロデュースのみ。日本でも越路吹雪が「ラストダンスは私に」
という題でカバーヒット。
*6 ベスト10ヒット。プロデュースのみ。
*7 Barry Mann & Cynthia Weil作品。途中まで。
*8 Mann/Weil/Leiber/Stoller名義。ギターはPhil Spector。ベスト10ヒット。
*9 LA時代の作品。白人3人組。全米No.6。途中まで。
*10 全米No.54。
*11 1964年全米No.3。オリジナルはClovers(1959年)。
*12 プロデュース作。スコットランドのグループ。

一節
スウィングビートのギターパッセージ
8ビートのギターパッセージ

内容

・近況

31日はOsaka FM開局30周年記念イベント@大阪城ホール。いよいよフィニッシュ。

・プレゼント

ジュブナイル発売記念、天体望遠鏡とサイン入りポスター。各10名。
今週の告知で最後。納涼夫婦放談の頃にでも当選者発表。

特集の内容

・ロックンロールとは何かというと、10代の心情を歌った歌という大きな特徴が
ある。アメリカの文化では大人の歌しか無かったが、第二次大戦後に子供の為
の歌が出て来た。これが50年代のこと。その最初に登場するのがLeiber & Stoller。

・Yakety Yak

2000年の今、この詞を読んでも何の古さも感じない。子供と大人の葛藤の歌。

「ゴミをちゃんと片付けなさい。そうじゃないと小遣いあげないわよ。キッチ
ンの床をちゃんと磨かなかったら二度とロックンロールできないわよ。ガタガ
タ口ごたえするんじゃないの。部屋の掃除すませたの?ゴミを見えないところ
へ持ってって。さもなきゃ金曜の夜の外出は禁止よ。ガタガタ口ごたえするん
じゃないの。コートを着て帽子被ってコインランドリーへ行ってきなさい。そ
れがすんだら犬を内に入れて猫を外へ出して。その汚いなりを見せるんじゃな
いの。どうにかしなさい。表の友達にドライブする時間は無いっていいなさい。
ガタガタ口ごたえするんじゃないの。」

・Driters

Leiber & Stollerは50年代は主にCoastersを手掛けていたが、60年代になると
Driftersにべったりとなった。50年代から活躍していたグループだが、リード
シンガーがころころ変り、遂には全く別のグループがDriftersを名乗るように
なった。元々はCrownsというグループで、そのリードシンガーがBen E. King。
それもリードシンガーがころころ変わりながら60年代に幾多のヒット曲を生ん
だ。米国を代表するボーカルグループだが、いかんせん日本ではほとんどレコー
ドが出なかったので、全員集合のドリフより圧倒的に知名度が低い。しかしア
メリカではCoastersもDriftersも同じぐらいのバリュー。

・スウィングビートからロックンロールの移行

50年代までの20世紀のアメリカを代表するビートはスウィングビートというジャ
ズのビート、跳ねているビートだった。ところが60年代になるとラテンの音楽、
南米、カリプソ、キューバ、そうした音楽が入って来て、その影響でスウィン
グしなくなる。これがまさに我々がいうところのロックンロールになっていく。
50年代と60年代の音楽の最も大きな違いはスウィングするかしないか。これを
もっとも積極的に押し進めたのがLeiber & Stollerということができる。
「Yakety Yak」「Lucky Lips」とDritersの60年代頭の諸作品を聞き比べると、
時代による音楽的な差がよくおわかりいただけると思う。

・プロデューサへの移行

本日かける曲の他にもDriftersには「This Magic Moment」「Some King Of
Wonderful」「Up On The Roof」など数多くの名作がある。こうした作品を書
いたのがCarole King, Doc Pomus, Mort Shumanなど、後のロックンロールを
担う作家の数々。こうした人達をプロデューサとしてどんどん起用していった。

60年代になると、彼らは作曲家としてよりプロデューサとしての仕事の方が多
くなった。Elvisの「Hound Dog」のメガヒットから5年も経っているので、大
御所中の大御所。戦後の日本で言えば吉田正さんのような位置付け。最近の研
究によればNYに移ってからは製作費が他より割高だったらしい。Driftersを聞
くと50年代のインディーな一発録りではなく、スタジオミュージシャンとオー
ケストラを呼んでレコーディングをしていた。そんな中からアレンジャー、作
曲家、レコーディングエンジニアなどがLeiber & Stollerのプロダクションの
中で育っていった。

音は50年代の泥臭い感じからモダンなものへと洗練されていった。ストリング
とともにパーカッションが使われ、ラテンの色が強くなり、バイヨン、マンボ、
ルンバなどの要素が沢山入っている。パーカッションの多用はMotownやPhil
Spectorを通じてBeach Boys、同時期のNYのGerry RaffertyやBert Bernsは半分
弟子だし、Four SeasonsのBob Crewe, Charlie Calleloももちろんそう。いろ
んな人に影響を与えている。

・On Broadway

60年代の諸作品で最も重要と思われる曲。元々はBarry Mann & Cynthia Weilが
二人で書いて発表した曲で、最初はCookies、そしてPhil Spectorがプロデュー
スしたCrystalsというガールグループが1963年に作品にした。同じ年にDrifters
がシングルカットした際にはLeiber & Stollerを加えた4人クレジットとなっ
た。我々が20代の頃には、このクレジットの変更はLeiber & Stollerが印税稼
ぎの為にクレジットを付けたのだと教わっていた。その当時はCookiesも
Crystalsも音を実際に聞けなかったが、今日聞けるようになるとDriftersと全
然違う歌詞であることがわかった。ガールグループ向けの「ブロードウェイに
行けば夢があるわ」というような単純な歌詞に手を加えて、あの社会風刺の効
いた歌にレベルアップさせたことになり、彼らの役割は非常に大きかった。やっ
ぱりちゃんとした資料がないと誤解を生む。

この曲はMann & Weilがガールグループバージョンが気に入らなくてLeiber
& Stollerに売り込みに行ったという説と、Leiber & Stollerがこの曲を気に
入ってDrifters用に使う時に歌詞を変えたという2説がある。

僕にとってオールタイムフェイバリットの一つであり、ロックンロールヒスト
リーに輝く傑作中の傑作。NYに行ったことがある人なら、タイムズスクエアを
見上げながらこの曲を必ず思い出すという、NYとマッチした曲。後にGeorge
Benson他、幾多のカバーがある。NYでしかできない音楽。

「ネオン輝くブロードウェイだと人はいう。空にはいつもマジックがあると。
でも空腹を抱えて通りを歩いていたら、身の置きどころなんてないんだ。ブロー
ドウェイの女達は特別だと人は言う。でもそんなの見たってブルーになるだけ。
5セントしか持ってなくてどう過ごせというんだ。5セントじゃ靴も磨けない。
あいつもそう長くは続かないと人は言う。グレイハウンドバスに乗って家に帰
るだろうと。でもやつらには決定的に間違っていることがある。僕にはギター
が弾ける。スターになるまで諦めるものか。このブロードウェイで。」

・Black Denim Trousers And Motorcycle Boots

Leiber & Stoller以前にはロックンロール専門のプロデューサというのはいな
かったので、50年代にはロックンロール以前の違うジャンルの作品を手掛ける
ことも多かった。Cheersのヒット曲はMarlon Brando、James Deanなどの「レ
ベル(Rebel)もの」という当時の流行を題材にしたもの。「女よりもバイクが
好きで、最後はダンプと衝突して粉々に砕け散ってしまい、後に残るのは黒い
デニムのズボンとブーツだけ」という歌だが、音楽はロックンロールでも何で
もない。

・I'm A Woman

「Tennessee Waltz」で知られるPeggy Leeもロックンロール以前の人であり、
彼女へも何曲か提供しているが、いずれもスマッシュヒットとなり、彼女のキャ
リアの中でも重要な作品となっている。この曲は最初の提供曲でファンの間で
人気の高い作品。

「あなたが1から9まで数える間に、私は44足のソックスを洗って干して、2ダー
スのシャツに糊付けしてアイロンを掛けられるわ。一杯に作ったラードをお鍋
に投げ込んで、それが融ける前に買物して帰って来られるの。なぜって私は女
だから。この古家を掃除して、新しい銅貨みたいにピカピカにできる。子供に
食事をあげて車にワックスをかけながら、自分もお化粧してドレスアップして
朝の4時まで遊んで5時に寝て、6時に飛び起きて昨日とおんなじことができ
る。なぜって私は女だから。」

ハウスハイフのパワーを見せつけるような強力な歌。この詞を書いた時に
Jerry Leiberは30歳。すごいですね(笑)。人間を見る目というか、洞察力とい
うか。

・ポジティヴィティ

今回特集してわかったことですが、彼らの作る音楽は非常にポジティヴですね。
絶対に後ろ向きじゃない。シニカルだけど世の中をはかなんでないですね。必
ず前へ進もうというパワーがある。パックス・アメリカーナ全盛期に育った人
達なんで、アメリカンドリームに満ちているというか。階級概念とかいろいろ
問題があるけど、それでも前へ進もうという。それが音楽の力となって我々を
魅了するのかなという感じがする。

・ブリティッシュ・インベイジョン以降

64年のブリティッシュ・インベイジョンにより、アメリカのそれまでのロック
ンロールやアイドルポップが全滅の危機に瀕する。Leiber & Stollerも64年に
Red Birdというレーベルを作り、商業的な成功を収めるのだが、自分達で曲を
作ることが減って行った。諸説あるが、彼らがプロデューサとして強力すぎて
肝心の歌手と釣合が取れなくなってくる、プロデューサや作家のアイデンティ
ティの方が勝ってしまうという皮肉な結果となり、実績がでなくなる。それで
60年代中期、Beatlesの全盛期にはLeiber & Stollerは古くなったかなという
感じになった。逆にそうした英国のビートグループが彼らの曲を取り上げ始め
てChuck BerryやLittle Richardと同じように再評価されるようになる。
Searchersを始め、60年代の英国のビートグループでLeiber & Stollerの曲を
取り上げないのは居ないと言われるほどであった。

今後の予定ですが

・8/6は「Leiber & Stoller特集 Part 3」。
・8月には納涼リクエスト大会と納涼夫婦放談を予定。


circustown.net による放送書き起こしです。文責 circustown.net。抜け誤りはお知らせください。


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