達郎書き起こしプロジェクト by ロック軍曹とサーカスタウン

2002/4/28 Sunday Song Book「History of 山下達郎 (3)」



山下達郎/潮騒(English Version) 1978『Spacy』*1
山下達郎/Remember Me Baby 1980/12『On The Street Corner』
山下達郎/Loveland, Island 1982/1『For You』
山下達郎/あまく危険な香り 1982/4 Single
山下達郎/高気圧ガール 1983/4 Single, 1983/6『Melodies』
山下達郎/クリスマス・イブ 1983/6『Melodies』
山下達郎/Magic Ways 1984/6『Big Wave』
山下達郎/風の回廊(コリドー) 1985/3 Single, 1986/4『Pocket Music』
山下達郎/メロディー、君の為に 1986/4『Pocket Music』

*1 2002年発売リマスターCDボーナストラック。

一節
8ビートのロックンロールのリフ
Sparkleのイントロ

内容

・ツアー

「先週東京のNHKホールが終わりまして、22本、丁度三分の二を消化したところ
です。今回のツアーは全国22回やりましたが、お客さんがどこでもいいんです。
うるさ過ぎず、静か過ぎず。丁度いい按配でとってもやり易くツアーをやらせて
いただいてます。いよいよ今週連休の真っ最中ですが、5/1,2、水木と名古屋へ
参ります。名古屋の皆さん、お久しぶりですがお待ち申し上げます。来週は連休
引き続きですが、北海道へ参ります。いよいよ後半戦。千秋楽へ向けて頑張って
いきたいとおもっております。」

・History of 山下達郎

♪ Remember Me Baby

「80年代に入ります。Part3です。先週の終わりは「Ride On Time」の頃。こっ
から先は大体シングルコレクションでずらっとやって精一杯という感じです。
1980年にようやく「Ride On Time」というシングルヒットが出ました。4年目に
してようやくブレイクしました。ここから先は人並みに活動ができるようになっ
てまいります。1980年にシングルがヒットしたら絶対にやろうと思っていたのが
アカペラのアルバムです。一人アカペラ。『On The Street Corner』。1980年
の12月に出すことができました。この80年の『On The Street Corner』を皮切
りに、1986年の『2』、1999年の『3』を出して現在に至っております。22年前の
一人アカペラの初めであります。」

♪ Loveland, Island (BGM)

「それで今「RCA/Air Years Special」というツアーを始めていますが、80年頃
からツアーの数が多くなりまして、多いときは年間70本ぐらい。80年代前半は20
代の終わりで体力もありましたので、毎年ツアーをやりながらアルバムを出して
いくというそういう時代が始まる訳でございます。そんな中から、今でも一緒に
にやっておりますドラムの青山君、ベースの伊藤君、そしてキーボードの難波君
、このリズムセクションで全面的にレコーディングを開始したのが『Ride On
Time』からで、これがもうちょっと煮詰まりまして、ツアーをやりながら(レコ
ーディング)やっているのでもうほとんどバンドサウンドになっていきまして、
そんな中から生まれたのが1982年の『For You』です。このアルバムに入ってい
たのが今年の1月にシングルカットした「Loveland, Island」。」

Q: リマスターされた『Songs』の「パレード」デモバージョンの詞の中に、♪紙
吹雪はきれいな髪飾り〜というフレーズがありますが、普段このフレーズを歌わ
れないのは何故ですか?

「アレンジを変えたからです。元のシュガーベイブのバージョンでは大サビとい
うのが一個あったのですが、アレンジを変えた『Niagara Triangle』に入って
いるバージョンだとちょっと長くなるので、曲が長くなるのがいやなのでこの大
サビ外して、そのアレンジでずっと歌っているので現在までそういうことになっ
ております。」

Q: 『For You』に赤い車にピエロ達と乗っている達郎さんの写真がありますが、
あの方達はどなたなのでしょうか?

「あれはバイトの学生(笑)。というか役者さんのたまごで、いわゆる道化の格好
をしてもらって、新宿の文化服装学院の前にアメ車を止めて、そこでロケをしま
した。今は懐かしい思い出です。」

「そういう訳で『For You』というRCA/Airで7枚目のアルバムを最後に、ムーン
レコードという所へ移籍をします。移籍前の最後のRCA時代の作品。」

♪ あまく危険な香り

「今から丁度20年前のヒットシングルです。この時代は丁度結婚した時でして、
結婚式の前の日の発売だったんですね。同時期に近藤真彦さんの「ハイティーン
・ブギ」とかフランク永井さんに曲(「WOMAN」)を書いたり、随分しかし精力的
にやっていたものです。20代でまだ元気があった時代ですね。」

Q: 『Circus Town』のサーカスというとシャガールの絵画を連想しますが、何
か関係はありますか?

「多分無いな。ありません。」

Q: Spacyという英語を辞書で引いたら乗ってなかったのですが。

「あれは造語です。」

Q: アルバムタイトルがRCA/Airイヤーズのものは全て英語なのですが何故。

「あの当時はフォークが凄く力が強い時代だったので、日本語のタイトルという
のが凄く流行っていたので、こちらはどちらかというと洋楽志向なので、お洒落
な音楽でしたので、全部英語です。ちなみにムーンへ行きましても、日本語のタ
イトルは『僕の中の少年』一つだけです。そうすると外国へ持っていってもわか
るんですよ。それが例えば『僕の中の少年』というタイトルだと、外国へ持って
いってもわからないので、そういうようなニュアンスもあります。ちょっとだけ
。」

「1982年にRCAを辞めまして。日本の場合は契約が終わると半年ぐらいは他の会
社から出しちゃいけないと、ほとぼりを冷ます時期がありまして。ほとぼりが冷
めまして、その間に『For You』というアルバムを出してツアーをやりまして、
明け1983年の4月にMoonレーベルというところに移籍します。現在はWarner
Music Japanに吸収されておりますが。Moonというのはインディですね。自分た
ちで作りましたインディな会社に移籍しまして、1983年6月に『Melodies』とい
うアルバムを出します。ここからガラっと作風が変わります。それまでの数年間
は「夏だ海だ達郎だ」、いわゆるリゾートミュージックの代名詞みたいな、16ビ
ートの、どちらかというとAOR、それからブラックミュージック、そういうよう
な16ビートの開放感のある音楽ばかり作ってきたんですけど。思うところありま
して、30歳になったときに、シンガーソングライターで全部自分で詞を書いて、
8ビートとか、もうちょっと内省的な音楽を目指そうという。そういう決意をし
て作ったのが『Melodies』。ここから初めてのシングルカット。Moonレコード
移籍第一弾シングル。」

♪ 高気圧ガール

「70年代終わりから80年代にかけて、山下達郎のファンキー路線というのがあり
まして。「Bomber」,「Hot Shot」,「Funky Flushin'」,「Silent Screamer」
,「メリーゴーラウンド」といろいろ曲がありますが。あとはトロピカル路線と
いうのが(笑)。「Loveland, Island」,「高気圧ガール」,「踊ろよ、フィッシ
ュ」そういうような奴ですけど。いわゆるトロピカル路線の一連の作品の中では
この曲が一番好きです。編曲的にアカペラとパーカッションで始まって、ポリリ
ズムで展開していくというアイディア。結構自分では良く出来たなとあの当時は
思いました。それでももう来年で20年になります。1983年4月のシングル。6月に
出ましたMoon移籍第一弾アルバム『Melodies』に入っています。」

「この『Melodies』から意図的に作風を変えました。当時は地味だとか、夏を放
棄したとかいろいろ言われましたが。今となって考えれば20年前にあの路線を変
えたお陰で、現在でも現役でやれているのかなと自分では思っております。あの
まま『For You』とかそういう路線で行ったら、やっぱりリゾートっぽい音楽で
終始して、どこかでレコード会社の役員になっていたと思います。特に『
Melodies』で一番変わった特徴は、70年代シュガーベイブから始めてソロになっ
てからずーっと意図的に8ビートミュージックをなるべくやらないように心がけ
てきました。8ビートはいわゆるロックンロールの♪〜ですね。16ビートはソウ
ルミュージックとか、「Sparkle」もそうですが、♪〜こういう細かい奴です。
日本語を乗せるには8ビートの方が乗せやすいという。自分で詞を作るならもう
ちょっと8ビートなロックンロールなものをやろうかなという考え方に立ち至っ
て、『Melodies』ではそういう曲が何曲があります。1曲目の「悲しみのJody」
というのもそうですけど。その内の一つの作品が自分にとっては生涯最大のヒッ
トとなるわけです。もちろん作ったときは何にもそんなことは思いませんでした
けれども。それまでは「夏だ海だ達郎だ」と夏のリゾートミュージシャンみたい
な呼ばれ方をしていたので、『On The Street Corner』みたいな一人アカペラ
も含めて、もうちょっと寒い季節の内省的な歌を書きたいなと思って書いた1曲
ですが、皆様よくご存知の「クリスマス・イブ」でありました。」

♪ クリスマス・イブ

「私がプロのミュージシャンになったのは二十歳の時ですけど、私がやりたかっ
た音楽は所謂ミドル・オブ・ザ・ロードという優しいタッチの音楽でありまして
、所謂ロック、イケイケ、パンクとかその後出ましたけど、オルタナなんて最近
いいますが、そういうイケイケな物じゃなくてもっと優しい、メロディーの綺麗
な、でもビートは強い、そういう音楽がやりたかったんですけれども。そういう
音楽は日本の、特にロックとかそう呼ばれるフィールドでは居場所がなかったん
です。私がプロのミュージシャンになった頃は、どういう音楽をやるかっていう
のがこの人がロックと呼ぶに値するかというすっごい不毛な論争があった時代で
。そんな中でこういう特集をやるとよく申し上げることですけど、しばしばいわ
れの無い罵声を浴びたり、野次られたりしました。そうしますと、なるべく音楽
的に複雑に展開した方が音楽的に高度だという幻想が、70年代に我々がプロのミ
ュージシャンになり始めた頃にそういう幻想がありました。8ビートよりも16ビ
ートの方が勿論難しい訳です。Jazzに寄れば寄るほどコードが難しくなりますし
。複雑なコードとか複雑なリズムパターンをやっている音楽ほど偉いという、ア
ングラならではの差別感というものがありました。私もそういう中で生きてきま
したので、70年代、20代の頃は16ビートの音楽ばかりやり続けてきたのですが、
30の手前になって、いつまでもそんな教条主義的なことはやだなと思って、昔自
分が好きだった8ビートのロックンロールの感覚、しかもコードをもうちょっと
シンプルにして歌ってもいいんじゃないかという具合に、丁度考え始めた頃に作
ったアルバムが『Melodies』でありまして。「クリスマス・イブ」なんてそれま
での山下達郎の作風からすると超異色であります。それが自分の最大ヒットにな
るんですから人生はよくわかりません。まああくまでいつも申し上げている事で
すが、山下達郎というのは歌手というよりは作曲と編曲で自分の音楽を展開して
きたというものでございます。特に編曲的には本日の前半でお聞きいただいた全
ての曲は、今回のツアーのメンバーである青山純というドラムと伊藤広規という
ベースと難波弘之というキーボード、そして僕自身のギターですべてレコーディ
ングされたものです。20年前も今も全く同じリズムセクションでやっております
ので、20年前とちょっと時系列が(?)共通するものがあります。」

「翌1984年に映画のサントラを作らないかという話が来まして、まあ日本が金出
して作った映画で、映画自体はB級なんですが、いわゆるサーフィンの映画です
。「Big Wave」というサーフィンの大会のドキュメントです。これのサントラを
やりまして、映画は全然当たらないのでアルバムは売れたという。そういうパタ
ーン多いんです、私。ドラマ視聴率全然アレだったのにシングルは売れたとか
(笑)。今だったら絶対考えられないですけど。ま、おおらかな時代だったんです
が。1984年6月20日発売。全曲英語という非常に異色なアルバム。その中から私
のオリジナルですが、お気に入りの1曲。」

♪ Magic Ways

「LPのA面がオリジナル、B面がBeach Boysのカバーというちょっと変則な。ま
あサーフィンの映画なので。それまでにBeach Boysのカバーを一人で全部演奏し
たものをシングルのB面に、「高気圧ガール」とかそういうものにちょぼちょぼ
入れていた奴に曲を足して、B面はBeach Boysのカバーに挑戦したものです。話
は全然変わりますが、この間スポーツ新聞を見ていたらどこかの女の子がなんか
女性版Beach BoysだといってカバーでCDに入れるとか言って書いてありましたけ
ど、止めた方がいいと思いますけどねえ、なんか。かないっこないんだから。
Beach Boysまでファッションにしちゃうんでしょうかね、やですねホントに。」

「80年代に入ると音楽の作り方が変わります。コンピュータが出てきます。テク
ノの時代です。あと楽器も凄く変わってきまして、シンセサイザーというのが出
てきまして、エレクトロニクスの波が押し寄せてきます。コンピュータに演奏さ
せて音を出す。それからレコーディングもそれまでのアナログレコーディングか
らデジタルになってきます。CDが出始める。それがだいたい84,5年の話です。そ
ういう時代の趨勢に流されて、私も必然的にハードウェアが変わってまいります
。1985年に本当はオリジナルアルバムを出すつもりでしたが、コンピュータとそ
れからデジタルレコーディング、これがひどいんですよ。それまでのアナログレ
コーディングで出来たことが全然デジタルじゃできない。それで七転八倒して、
『Melodies』から次のアルバムまで2年8ヶ月かかってしまいました。1986年4月
に予定を大幅にずれまして、新しいオリジナルアルバム『Pocket Music』が出ま
した。これが人生で一番難産したアルバムでしたが、作品的には割りと気に入っ
ているものが多いんですけど、兎に角レコーディングシステムに翻弄された一枚
でした。1986年4月23日発売。」

♪ 風の回廊

「コンピュータミュージック、シンセサイザー、そしてドラムマシーン。これが
80年代を象徴する音楽的要素となりますが。どうしてもドラムマシーンというの
が嫌いでして。当時の音質が悪いので。従って初めてコンピュータを導入して作
った『Pocket Music』は実はドラムはほとんど本物です。自分がキーボードプレ
イヤーでないので、キーボードをコンピュータに演奏させて、ギターとドラムと
ベースはなるべく本物を使う。そういう変則的なコンピュータの使用法をしてい
ます。」

♪ メロディー、君の為に

・RCA/Airリマスター盤発売記念プレゼント

(1)2002/2からのカレンダー20名(ツアースケジュール入り)
(2)「Loveland, Island」ポスター20名
(3)スペシャルダイジェストプロモ盤CD10名
(1)〜(3)はすべてサイン入り。


今後の予定

・5/5は放送500回記念「大プレゼント特集」。
ありったけのプレゼントを用意して大盤振舞したいとのこと。
・5/12以降に「History of 山下達郎」。
・5月になったら「棚つか Philadelphia Soul編」でも。
・夏になったらBruce Johnstonの特集を。


circustown.net による放送書き起こしです。文責 circustown.net。抜け誤りはお知らせください。


Copyright (c) circustown.net 1999 - 2006, All Right Reserved