Laura Nyro は1947年10月18日にジャズ・トランペッターの娘としてニューヨークで生まれました。本名は Laura Nigro(ニグロ)。Helen Merrill は伯母にあたり、母親はドビッシーやラベルなどのクラシック音楽に親しんでいたという音楽一家。8歳の時には自分で作曲していたそうですから、こうした早熟さは音楽好きの両親の影響が大きいと思われます。また、60年代のガール・グループを始め、Smokey Robinson、 Curtis Mayfieldなどの黒人音楽や John Coltrane、 Bob Dylan など幅広い音楽に親しんでいました。初めて買ったレコードは後に『Gonna Take A Miracle』でカヴァーすることになる、The Jesters の「The Wind」。情報の豊富な都会ならではの音楽体験です。そして子供の頃から友人とストリートでドゥ・ワップなどを歌っており、まさに彼女こそは「ニューヨークの子供」だったと言えます。マンハッタンのハイ・スクール・オブ・ミュージック・アンド・アーツに入学した頃から本格的に作曲を始め、10代の時に彼女は「And When I Die」という曲を作ります。10代の女性が作ったとは思えないほど、成熟した感性が感じられる詞が特に印象に残ります。彼女は幼い頃から詩歌に親しんでいました。「母親や祖父は革新的自由主義者であり、平和運動やフェミニズムなどが私の音楽に大きな影響を与えた」と語っているように、折しもベトナム戦争が泥沼化し始め混沌とした空気が支配していた当時のアメリカ社会で、若いなりに思索にふけり詩を書く多感な少女の姿が垣間見えます。こうして曲を書きため、音楽出版社へ売りこんでいた彼女は、高校卒業後にヴァーヴ・フォークウェイズ・レコード(Verve Folkways)と契約し、1966年10月にシングル「Wedding Bell Blues」でレコード・デビューを果たします。当時ヴァーヴには Tim Hardinや Richie Havens らニューヨークのフォーク・ロック・シーンで活動していたアーティストも在籍していました。「結婚」という少女の憧れを明るいリズムに乗せて素直に表現したこの曲は、期待されたほどのヒットには至らなかったものの、とても19歳のものとは思えない表現力にその後の彼女の存在感を垣間見ることができます。

Bill
I love you so
I always will
I look at you and see
the passion eyes of May
Oh but am I ever gonna see
my wedding day?

"Wedding Bell Blues" Lyric by Laura Nyro 1966



More Than A New Discovery
(Verve/Folkways FT3020)


First Songs (Columbia KC31410)


 翌67年にファースト・アルバム『More Than A New Discovery』をリリースします。みずみずしい感性をたたえて奔放に歌う彼女の躍動感溢れるヴォーカルが特に印象的。しかし、そうした中にあって、都市生活における一種の喪失感はこの頃から歌われています。またモータウンを初めとした、当時のノーザン・ソウルからの影響を色濃く感じます。
 『More Than A New Discovery』はその後 CBSより『The First Songs』とタイトルも改められ、ジャケットも一新されてリ・イシューされています。

Good by Joe
Time is full of changes
and now you've got to go
and we walked
on a Manhattan morning
Good by Joe

"Good By Joe" Lyric by Laura Nyro 1967

Going down the stoney end
I never wanted to go down
the stoney end

"Stoney End" Lyric by Laura Nyro 1967

He's a runner
and he'll run away
soon there'll be no man

"He's A Runner" Lyric by Laura Nyro 1967



Eli And The Thirteenth Confession
(Columbia PC9626)
 その後 Laura Nyro はかの有名なモンタレー・ポップ・フェスティバル(Monterey Pop Festival)に出演します。折しもサイケ全盛の時代。観客の評判は芳しくなく彼女にとってはつらい体験となりました。翌68年彼女はのちにゲフィン・レコードを設立する David L.Geffen というマネージャーと知り合い、彼の後押しもあってCBSと契約。アルバム『Eli And The Thirteenth Confession』を発表します。"イーライと13番目の懺悔"と名付けられたこのアルバムはプロデューサー、アレンジャーに Charlie Calello を迎え、都会的ながらもソウルフルなサウンドに支えられて、情感たっぷりに伸びやかなヴォーカルを披露しています。都会の四季を感じながら軽やかに街を闊歩し、立ち止まって深呼吸したかのような伸びやかさ。「Lu」や「Sweet Blindness」からはそんな街の生活の楽しさが感じられます。一方で「Poverty Train」や「Stoned Soul Picnic」などドラッグへの陶酔を感じさせる曲もあり、都市生活の陰影をくっきりと浮かび上がらせています。また、前作に比べ幾分リラックスした雰囲気を感じるのは、David Geffenや Charlie Calello という良き理解者を得たからでしょうか。
 『Eli〜』をリリースしたこのころ、彼女にとって一つの転機が訪れました。それはThe Fifth Dimension によって彼女の曲が取り上げられヒットしたことです。The Fifth Dimension はすでに若きソングライター Jimmy Webb の「Up-Up And Away」などで大ヒットをとばしていました。彼に続く優秀なソングライターを探していたプロデューサーのBones Howeは David Geffen から Laura Nyro のデモ・テープを受け取ります。これはおそらく『Eli〜』制作中の出来事と思われます。この中から彼らは「Stoned Soul Picnic」と「Sweet Blindness」を取り上げ、「Stoned Soul Picnic」は全米 2位、「Sweet Blindness」は全米13位と大ヒットをとばし、Laura Nyro を一躍メジャー・シーンへと押し上げます。彼女はシンガーとしてよりもまず、作曲家として認知されたのでした。The Fifth Dimension は彼女の曲を最も多く取り上げました。「Wedding Bell Blues」、「Blowing Away」、 「Save The Country」、「Time And Love」、 「He's A Runner」、「Black Patch」など。特にR&Bを下敷きにした初期のソウルフルな曲が多く取り上げられており、白人である彼女の曲が黒人ボーカル・グループである The Fifth Dimensionに数多く取り上げられ、愛してやまない黒人音楽へのリスペクトを持ち得たという点において、彼らに取り上げられてヒットしたことは彼女としてもうれしかったでしょうね。




New York Tendaberry
(Columbia PC9737)

 続く1969年11月、初期の名作との誉れ高い『New York Tendaberry』をリリースします。目を閉じ、上を向いて風を受けるモノクロのジャケットが孤独感を誘います。前作とは変わりほとんどセルフ・プロデュースに近い形で制作されたこのアルバムは、研ぎ澄まされた空間から絞り出される呟きと、狂おしいまでの感情を思い切りさらけ出した孤高の響きがあります。このアルバムを聴くたびに激しい焦燥感に駆られるのはなぜなのでしょうか。ヴィレッジの安いロフトで、ニューヨークの凍てつくような冬の寒さに耐えながらよるべない淋しさを抱えて、逃げ出したいのに決して逃げ出すことの出来ない、街の囚われ人のような、彼女の切々とした街のブルースがマンハッタンの闇を切り裂いていきます。

You don't love me when I cry
have to say goodby
I don't want to say goodby
baby goodby

"You Don't Love Me When I Cry" Lyric by Laura Nyro 1969

I'm so lonely
been crying
waiting up for you
you hear that?

"Tom Cat Goodby" Lyric by Laura Nyro 1969

on Broadway
live and pray
There ain't no mercy now
on Broadway

"Mercy on Broadway" Lyric by Laura Nyro 1969





 また、このころから彼女は「Save The Country」のようなプロテスト・ソングを歌い始めます。アメリカ社会が最も病んでいたとも言えるこの時期に、こうした歌は彼女の中から必然的に生まれてきたという印象があります。この後彼女は私生活の変化に呼応するかのように女性問題や子供、環境といったより普遍的なテーマを取り上げることになりますが、これについては後述しましょう。

 『New York Tendaberry』のリリース後、Laura Nyro は久しぶりにステージに立ちます。前座に The Fifth Avenue Band を従えて全米各地で行われたこのコンサート、何とも贅沢な組み合わせですね。

Save the people
Save the children
Save the country

"Save The Country" Lyric by Laura Nyro 1969



| LAURA NYRO | NEXT |