Curtis Mayfield
Back To The World 1973 " Back to The World " Curtom/Buddah CRS8015/LP |
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いつ果てるともなく続くベトナム戦争に次第に疲れ、病んでいたアメリカ。誰もが脱力感を覚えていた1973年。このアルバムが発表されたのはそんな年でした。
ソロ5作目。オープニングのタイトル・トラックからラストの「Future Song」までの7曲全てが名作。Curtis の弱さと優しさを滲ませたファルセットと、それを支える力強く軽快なリズム隊、そして Richard Tufo による華麗なストリングスとシカゴならではのブラスの調べ。今聞いても実に斬新で、一介のシンガー・ソングライターというよりも、総合的な音楽家としてのパワーを思い知る一枚です。 Curtis の音楽を語る上で欠かすことの出来ない要素の一つは公民権運動。黒人の地位向上運動はやがてブラック・パワーとして R&B やブラック・ミュージックに象徴的に織り込まれていくわけですが、70年代のニュー・ソウルというムーブメントを通してもっと突き進んだ形でこれを体現していたのが、Curtis Mayfield や Marvin Gaye でした。 |
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「Curtis Mayfield の音楽に込められた政治性というものには暴力的なものがない。Curtis の音楽にはアジテーションがあるんだけれども、どこかクリスチャニティに裏打ちされた博愛の精神がある。そんな非常に優しい音楽であり、これが Curtis の最も大きな音楽的特徴の一つである」とは山下達郎氏の言葉。また、Curtis Mayfiled の業績として忘れることができないのは、数多くのミュージシャンのプロデュースを行ったこと、そしてWindy C、 Mayfield 、Curtom といったレーベルのオーナーとして多くのミュージシャンの音楽表現の場を作ったことです。
特に1968年に興した、Curtom レーベル。Donny Hathaway も Curtom から出発して、June Conquest とのデュエットで1971年にシングルを出しています。その Donny の大学の同級生であった、Leroy Hutson は Curtis が抜けたあとの Impressions のリード・シンガーとなり、その後はソロ・アルバム以外にも Natural Four を手掛けプロデューサーとして頭角を表わしていきます。 このように才能ある者が表現の場を探し、そして Curtis の音楽精神に惹きつけらて集まってきたのでしょう。彼らは夜な夜なスタジオの中でどんな話をしていたのでょうか。いつまでも興味は尽きません。 |
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アルバムはクールかつファンキーな「Future Shock」や「Can't Say Nothin'」から「いつになったら平和は訪れるのだろう」という無垢なメッセージ・ソング「If I Were A Child Again」に至るまで、アフリカン・アメリカンのアイデンティティを強烈に印象付けながら、混沌として何かを見失っていた市井の人々に向けて、ポジティブに生きることを促す強い思いが籠められているのがわかります。こうしたメッセージは皮肉にも27年経った今でも有効であり続けますが、それはその思いが彼の音楽同様に決して風化し得ないからだとも言えるのではないでしょうか。
どのような思想、信条、イデオロギーを持ってしても戦争を正当化できるものではない。Curtis の祈りを受け継いでいきたいと思います。Curtis はこのアルバムを上梓するにあたって次のような言葉を残しました。 If I were only a child again,and ask the grownups (屈腱炎・たかはしかつみ・富田英伸・脇元和征) |