松任谷由実

経る時

1983 " REINCARNATION " Toshiba EMI ETP-90221 / LP





 今年の桜は足が速かったのと、くるくると変わる天気のせいで、このレビューがみなさんのお目にとまる頃には関東の桜はすっかり見頃を過ぎているでしょう。入学式につきものの桜が葉桜になってしまうのは寂しいけれど、桜の花っていかにも日本人が好む“散る”美学を象徴したものと言えますね。
 春の歌をあれこれ考えていたら、この曲に行き当たりました。この曲は実は春だけを歌った歌ではありません。今はもう閉館してしまったフェヤーモントホテルを舞台に、四季の移ろいと過ぎ去った恋、人生の四季をも織り込んだそれはそれは美しい一曲です。


 ユーミンの何がすごいかを考え始めるときりがなくて困ってしまいますが、若くして老成していたまなざしをそのひとつに挙げたいなかのです。この曲は彼女が29歳のときに書いたんですよね。わたしが29歳のときは目先の色恋やら人間関係のドロドロやらにまみれていて、「四月ごとに同じ席は うす紅色の砂時計の底になる」、「空から降る時が見える さびれたこのホテルから」なんて、きっと脳裏をかすめもしなかったに違いないフレーズです(単に感性の違いだろうが、という指摘は却下)。
 諦観、シニカルな視点、オンナの情念(!)は初期のユーミンにはあまり多くはみられなくて、むしろ水彩の絵を見るような三次元的広がりを持つ詞の世界や、日常の情景・心象風景の切り取り方の見事さが、特に『REINCARNATION』あたりまでのアルバムには顕著な気がします。
「皇居のお濠 千鳥が淵の桜が 咲き始めました」
 毎年、桜のつぼみがほころぶ頃になると新聞に小さく載ったフェヤーモントホテルの広告は、もう目にすることはありません。でもなぜか見えないはずの広告に呼ばれた気がして、ふらふらと千鳥が淵のあたりをひとりぼんやり散策してしまいそうです。なーんて、わたしだってたまにはこんなロマンティックなことも考えるんだから(笑)。

(なかのみどり)





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