第回 : 森 勉さん



『未知との遭遇』〜『おもいでの夏』
執筆活動とラジオの選曲

-執筆活動はいつごろからされているのですか?
 書くのを始めたのは1987年からなんです。それまでは自分が物を書くなんて考えもしなかったんですけど、レコードコレクターズの編集部の方から声をかけていただいて。一番最初に書いたのがなんと Yardbirds なんですよ。このころレコードコレクターズ誌では入手しやすいリイシュー盤ガイドっていうコーナーが特集にありました。今ほどものが出てない時代だったんですよ。オリジナル盤さえ手に入らない。ですから新品で買えるのにはどういうものがあるのかを書いて欲しい、それならレコード屋さんなんだから書けるでしょうと言われて、だから一所懸命調べて書きましたよ。恐いもの知らずで、じゃあやっちゃうかって。で書くと色々反響が来るわけですよ。いいの悪いの含めて、こんなのが出てたのですか、とか、これが載ってないじゃないかと・・・。

 ちゃんと読んでくれている人がいるんだなあって気を引き締めて次に書いたのがジミヘン(笑)。Jimi Hendrix に関してはリイシュー状況だけじゃなく、内容に関した部分まで書いちゃったんですよ、恐ろしいことに。でもジミヘンのセッションに Ronettes が参加してたりとかあるんで、僕なりにそんなものまで書いてしまおうっていうのがありましたね。その当時はよく言われましたよ、ジミヘン好きだったんですかって、いや勿論好きでしたよ、って。で、ようやく僕に Beach Boys って印象がついたのは、レココレに書いてからですね。『Smile』について書いたんですよ(1988年11月号)。それが当時としてはすごい反響をいただいて、ぼくは基本的にブートは買わないって思ってる人間なんで、なるべくその当時聴ける音源で『Smile』はどういったものなのかっていうのが大前提で書いた記事なんです。今でも別冊のアメリカンロックに載ってて、今となっては情報的には古くなっていますけど、ブートということを考えないと、そこそこ書けていたなと。それとそのころ Buddah Karma-Sutra の特集というのがあって、調べていて楽しかったんですけど、すごく大変だったんです。テイチクさんからの画期的な再発があって、これからこういうものも出して欲しいとか希望まで書かせてもらったり、また Lovin Spoonful なんてこの時とばかりに書かせてもらいました。この頃は徹夜に近い状態で原稿書いていましたね。


レコード・コレクターズ
手前から
1987年6月号『特集ザ・ヤードバーズ』
1987年7月号『特集ジミ・ヘンドリクス』
1988年9月号『ブッダ/カーマ・ストラ・レーベルの魅力』
 僕の原稿の書き方って、Brian Wilson に倣ったんじゃないですけど、断片的なものをいろいろ集めて、書き出して、それをまとめるって作業をするので、多く集めすぎちゃうんですよね。書ききれないほど。それの最たるものが Beach Boys の『Smily Smile』のライナーで、88年なんですけど。当時原稿を手でお渡ししたら、担当の方が、「えっ?」て言うんですよね。その方は200字詰め原稿用紙で20枚って指示したつもりだったのが、僕なんかプロの使う原稿用紙を認識していなくって、400字詰めで40何枚も書いちゃったんです。4倍ですよね。これはなかなか大変だったんですけど、Beach Boys なんで力が入っちゃって、特にこのアルバムは重要なので時代背景まで書きました。

 でもこの原稿がきっかけで、達郎さんから直接電話を頂きまして。苦労した甲斐があったなって。その電話というのは Young Rascals のファーストとセカンドをワーナーから出すので原稿を書いて欲しいという依頼でした。時間的なこともありセカンドの『Collections』だけにしていただいたんですが、直々にお電話いただいたんで、ものすごいプレッシャーがありました。その時に、どんな感じで書いたらよろしいでしょうかと聞いたんです。そうしたら『Smily Smile』みたいに書いてくれればいいですから、ということを言われました。ああ読んでくれていたんだと、嬉しい反面冷や汗ものだなと。ライナーノーツは、自分の中では Beach Boys と Rascals を書ければっていうのがあったので、嬉しかったですね。
-ラジオの選曲もやっていらっしゃいますね。
 NHK-FMの特番で選曲をさせていただいたのが最初でした。EPOさんが司会で70年代にスポットを当てた企画だったんですけど、その選曲の仕事がまわってきたんです。あらかじめ、選んだ曲を聞きやすいようにと1分くらいずつテープに抜粋したものをお送りして、聞いていただいたんですけど、そのまま全部かけていただきました。EPOさんですから、全部自分の言葉でしゃべって下さってよかったんです。なんか予約の関係で、すごい大きなスタジオでの収録になっちゃって、オーケストラでも入れそうな所にぽつんと机が一つあって、EPOさんとゲストの安部恭弘さんがいらっしゃって、横に僕がいて。さりげなく John Sebaschian の「Welcome Back」、Beach Boys の「DisneyGirl」をかけたりしました。もちろんシュガーベイブの「Down Town」も。

 その後、J-WAVE の開局当時に、Non Stop Power Play という番組の選曲を1989年から93年までさせてもらいました。月2、3回のペースで趣味の音楽だけをかけ続けることができました。


-ベン・モリという名前を使ってらっしゃいますね。
 小学校の友達なんかは、勉って字はベンって読むんで、モリベン、モリベンっみんな呼ぶんですよ。じゃあJ-WAVEは英語ばっかり使う放送局なんで、それがいいかな、と。

「アナザー・サイド・オブ Phil Spector」とか「おやすみロージー」関連特集、「Brian Wilson バースデイ・スペシャル」、「Carole King 来日」特集、ちょっとひねった「ニューオーリンズ」特集なんてやりましたね。自己満足と言われてもしょうがない選曲だったんですけど、30分の流れがリスナーにとって、気持ち良く聴けるような曲をと心がけました。店の仕事もやりながらだったので、時間的には大変でしたが、反響もいただいて、とても楽しく有意義な日々でした。


J-WAVE の Non Stop Power Play のキューシート(選曲票)。



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