第4回 : 中村欣嗣さん |
オーディオへの道 -オーディオとの出会いというのはどの辺にあるんですか。 実家に、空き家があってそれを街の電気屋さんに貸すことになったんですよ。そこで見ているうちに、なんか作ってみたいものがあったらあげるよっていうんでもらって。ラジオの材料が簡単に手に入るんですよ。鉱石ラジオ。クリスタルのイヤホーンで。そのころからヘッドフォン・オタクになってたね(笑)。 それが終ってゲルマニウム・ラジオ。でその人が部品あげるから、真空管アンプ作ってみないかっていうんで、作って音を出したら、たまたま夕方の番組で「ジャズ・フラッシュ」。油井正一さんだったんですけね、今思うと。 一番面白かったのは、鉱石ラジオを作った時。昔の小学校のカーテンって真っ白で針金が使ってあったんですよ。そこからラジオのアンテナ出してカーテンの裏で見つからないようにして聞いてたんですよ。でも面白い番組でつい笑ちゃったんですよ。先生に見つかって「お前何やってるんだ」って職員室に呼ばれました。そうしたら話の面白い先生で「悪いんだけど俺のも作ってくれ」そうしたら、回りの先生も集まってきて「俺のも頼む」、「俺のも頼む」って。部品代だけで当時の200円くらいだったんですよ。それを300円とか500円とかお金くれて、けっこううまく行きましたね(笑)。当時の売りもののラジオは結構な値段したのと、鉱石ラジオは持ち運びできるし電池がいらない。そんなこともあって頼まれたんだと思います。もちろんちゃんと聞こえるんですよ。 |
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-そういう意味ではオーディオと音楽への邂逅が同時だったという・・・。初めて主体的に接した音楽がジャズで、そこからのめり込んでいったんですね。
のめり込んでいけるほど、手に入るものがなかった。田舎だったし、手に入るような金額じゃなかったし。だから聞いているのはAM放送ですよね。 -ダイナミックオーディオに来られてからのことをお聞かせ下さい。 僕が入ってからは結構景気が良くて支店が14、5店舗あったんですよ。殆ど行きましたね。秋葉原からスタートして池袋の店長、この時に大滝(詠一)さんと知りあったんです。そして渋谷の店長、この時に山下さんを紹介してもらいました。その後、丸の内、青山、そして秋葉原と転々としました。僕の場合は、店長じゃなくて、転々とする「転長」(笑)。 -ダイナミックオーディオに入られてから本格的にオーディオと付き合うようになって、そこから商品知識を勉強された訳ですか? 勉強しました。一から勉強しましたね。 -ミュージシャンでいらっしゃる頃からオーディオの世界に合っているとか、面白いなと思う部分があったんですか? そうですね。オーディオは面白いし、あと人を騙すのも面白いと思いました(笑)。 |
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