2012.10.08
さよならアメリカ、さよならニッポン さよならアメリカ、さよならニッポン
マイケル・ボーダッシュ著 (奥田祐士訳)

(2012)

本屋でタイトルに目が止まって手に取ってみた。はっぴいえんどの研究本かと思ったのだが(もちろんはっぴいえんどのことも書いてあるのだが)それだけではなさそう。著者がアメリカ人だということにも興味をおぼえたので読んでみた。

著者のマイケル・ボーダッシュ氏は1961年ミネソタ州に生まれ、84年に交換留学生として初めて来日した。そこで音楽や映画、文学といった日本文化に触れ、現在はシカゴ大学で東アジア言語・文明学部の准教授の職にあるという学者だ。

原書の副題は「Jポップの地政学的前史」というもので、戦後日本の大衆音楽の成り立ちを地政学的な見地を縦糸に、「ミュージッキング」という社会活動の概念を横糸にして学際的に考察したという論文である。

終戦の日から始まる展開はいささか大仰というかかなり気負ってるなあ、という感じがしなくもないが、第1章では黒澤明と笠置シズ子と服部良一それぞれを比較しながら、戦後日本がいかにして音楽を通して思想的に、政治的に、性的に解放されていくかを考察している。個人的にはこの第1章はなかなかに興味深く最も読み応えがあった。

その後、第2章では美空ひばりが笠置シズ子のブギウギでキャリアをスタートさせながらその後たどった演歌の女王への道のりを、第3章では坂本九がまとっていた日本のロカビリーを、そして第4章ではグループ・サウンズが意図的にギターの音を歪ませることによって、新しいロックとしてのイデオロギーを獲得していく道程をそれぞれ考察している。

時代はさらに下り第5章では、はっぴいえんど、荒井由実、YMOを追いながら日本のロックがいかに日本的なものを内包しながらかつロックとして機能していたかを、最後の第6章ではチャゲ&飛鳥の作品をバブル期の日本の消費構造の中で捉えている。

読み終わったあとに、昔読んだ大滝詠一氏の「分母分子論」を思い出した。
母国の音楽(分母)が日本でどのように解釈され、また地政学的な影響を受けて変容していったのか(分子)ということを語るというのは、著者がアメリカ人なだけに、立ち位置がねじれている分面白い。

大滝さんは分母分子の構造がやがて横倒しになって崩れていく様子を「分母の喪失感覚」と言っていたと思うが、第6章で著者は「冷戦の終結と経済的なバブルの崩壊を受けて、1945年以来、日本のポピュラー音楽に枠組みを提供してきた日本対アメリカという二極的な地政学地図は、日本をアジアの内部に位置づける、新たなマッピングにその座を明け渡し始めていた」と語る。

今、東南アジアの国々では日本のヒット曲の、日本語のフレーズを取り入れたポップスが売れているというが、それはまさに三層にも四層にもなって新たな枠組みや構造を提示しているということを現しているのではないだろうか。今や横倒しになった分母分子が複雑に重層をなしているといったところだろうか。

日本の音楽や文化が好きなアメリカの研究者が書いた日本の大衆音楽論であるから、我々日本人が違和感なく捉えている日本の大衆音楽の解釈とはちょっと視点が異なっていて、大上段なところもあるのだけど却ってそれが面白い。
考えてみれば、"Jポップ"を学問にしているアメリカの研究者なんていう存在は稀有というか物好きというか、やっぱりオタクなんだろうから(笑)。



今日の1曲


(Kazumasa Wakimoto)




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