2013.07.13 - Nippon 80s Special
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アクション・ペインティング
ピチカートV
イン・アクション (1986)
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力強い2拍子のビート、オフ気味の女性ヴォーカル、ビルの谷間に響くホーン、クールな12インチシングルのジャケット。Pizzicato V の2枚目のシングル「アクション・ペインティング」を気に入ってよく聴いていました。
この曲で思い出すのが、渋谷のレコード店でのイベント。当時短い期間でしたがCSVという輸入レコード屋が公園通りにあって(たしかハンターがあった近く)、そこでトークショーみたいのがありました。この曲発表の後で、ピチカート最初のアルバム "couples" の発売にからめてだったので、で'87年の春休みだったと思います。小西さん、高浪さん、鴨宮さんがいました(確か細野さんもいたと思うんだけど記憶が霞む・・)。ボーカルの佐々木麻美子さんが遅れてきたんだかこなかったんだかで、小西さんがいらいらしていたのを覚えています。
1983年 3月 君に、胸キュン。/YMO
1983年 4月 天国のキッス/松田聖子
1983年12月 YMO 散開
1984年 1月 風の谷のナウシカ/安田成美
1984年 8月 ピンクのモーツァルト/松田聖子
1984年12月 Making of NON-STANDARD MUSIC/細野晴臣
ところで細野さん。
細野晴臣コンプレックスという訳でもなかったとは思うのですが、80年代の半ばは細野さんの動向をずっと追っかけていました。YMO を散開したのが'83年の暮れで、歌謡曲の仕事も'84年の夏の松田聖子「ピンクのモーツァルト」で一段落したような感じがあり、その直後に細野さんはテイチクでノン・スタンダードというレーベルを立ち上げます。
1985年 6月 「国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW」出演/はっぴいえんど
1985年 8月 オードリー・ヘップバーン・コンプレックス/ピチカートV
1986年 1月 アクション・ペインティング/ピチカートV
そしてそこからピチカートが出てきます。第一弾が'85年夏、第二弾が'86年1月。国立競技場ではっぴいえんどが復活したのは、その直前だったのか。あまり国立でのピチカートの意識はありませんでした。
ピチカートのノン・スタンダードでのリリースはそのシングル2枚。どちらも12インチシングル。最初の「オードリー・ヘプバーン・コンプレックス」はおとなしかったのですが、「アクション」は急に元気になりました。いまだにドラムとホーン隊なのか、打ち込みとシンセなのかよくわからないできの良さ。この頃は特にディスコ用でなくても12インチシングルが花盛りで、イギリスの Scritti Politti とか かっこいいビートの12インチがありました。
1986年 2月 James Brown 武道館公演に出演/Friends Of Earth
1986年 5月 Sex Machine/Friends Of Earth
1987年 4月 couples/ピチカートV(CBSソニー移籍)
うーん、早くもノン・スタンダード末期感ですね。細野さんは Friends Of Earth(F.O.E.)というバンドを組んで、JB の前座を勇躍武道館でつとめるのですが、「細野帰れー」とか本当にヤジられてました。ひどいですよね。もっとも、ついに出てきた本物の JB を目の当たりにすると、僕でも致し方がないと思ってしまいましたが(汗)。たまたまだと思いますが、このころから僕は日本の流行の音楽と距離をおくようになってしまいました。
ところで、冒頭で書いた渋谷のピチカートのイベントですが、そこで小西さんが自慢げに "Roger Nichols and the Small Circle of Friends" のLPを持ってきてその良さを語っていました。ロジャニコですよ。当時まさかCDになるとは思ってもいなかったので、うらやましい、というかブツを見たの自体が初めてでした。ところが、それがあっさりその年のうちに、日本の A&M からCD化されてしまうので、何があるのかわかりません。小西さんで思い出すのがロジャニコで、ピチカートで思い出すのが「アクション」です。
今日の1曲(たかはしかつみ)
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