2013.10.26
Broken Rainbow Broken Rainbow
Laura Nyro

Laura Nyro Live At The Bottom Line (1989)

25年前にニューヨークを終着点としてアメリカ横断の旅をしたたかはしかつみさん。僕も同じような時期にニューヨークを旅した。そこで僕もニューヨークにまつわる思い出話を。

あれ?あの時はどこからニューヨークに入ったんだったっけと古い記憶を辿っていくと芋ずる式に当時の記憶が掘り起こされてきた。
あの時僕はオランダのアムステルダムからニューヨークに入ったのだった。アムステルダムをゲートウェイとしてヨーロッパを3週間ほど歩き回って再びアムステルダムに戻ってきた。旅の疲れが澱のように溜まり始めたころ。アムステルダム中央駅に辿り着いた時には日も暮れて冷たい雨が降っていた。アムステルダムに戻ってきたのは翌日のニューヨーク行きに乗るために一泊するのが目的で、街を見て回ったという記憶はない。そもそも疲れきっていたし雨で気持ちが滅入っていたような気がする。駅の近くで探した安い宿はコンクリートの高い天井に裸電球と粗末なベッドがあるだけの独房のような部屋でシャワーは水だった。荷物を置いて食事に出たのだけど日曜日で店はどこも閉まっていた。かろうじて開いていたレストランはインド料理店で、汁っぽいカレーにぱさぱさのナンを浸していると、よりによってなんでヨーロッパ最後の日にこんな不味いカレーを食べているのだろうという何とも言いようのない気持ちになってくる。街は雨で暗く沈んでいて翌日からのアメリカに思いを馳せることもなく、食事が終わると驟雨で滲んだ街を重い体を引きずって宿に帰ったことを思い出す。

・・・マンハッタンへはタクシーで入ったと思う。トンネルを車が抜け出した刹那、ビルの屋上や道路わきのマンホールから吹き出す暖房のスチームが目に飛び込んできて心を奪われる。ニューヨークに来たのだ!前日の鬱々とした気分が一掃されてアムステルダムが遠い昔のことのように感じるから不思議だ。

それから、毎日毎日マンハッタンをほっつき歩いた。セントラルパークのストロベリー・フィールズを手始めに、メトロポリタンやMOMAやグッゲンハイムと美術館を見て廻ったり、SOHOやチャイナタウンにも行ってみた。とにかくよく歩いたと思う。ブリル・ビルディングの辺りにも行ってみた。キャロル・キングには会えなかったけれども・・・。もちろん恐る恐る地下鉄にも乗ってみた。オン・ブロードウェイは「コーラス・ライン」を観て、オフも何か観たと思うけど忘れた。そしてやっぱりかつみさんと考えることは同じでヴィレッジあたりの中古レコード屋も廻った。かの有名な「House of Oldies」や「Finyl Vinyl」にも行ってフォーシーズンズやゾンビーズのシングル盤を買ったりしたのだった。

カーネギー・ホールやラジオシティ・ミュージック・ホールは外から見ただけだったけどライブハウスには行ってみたいと思っていた。ブルー・ノート、ヴィレッジ・ヴァンガード、スウィート・ベイジルやロック系のCBGBなど有名なライブスポットがニューヨークにはたくさんあるが、そんな中からグリニッジ・ヴィレッジにある「The Bottom Line」に行った。
ところがしかし、ボトムラインで誰の公演を見たのか全く記憶が抜け落ちてしまっている。肝心なことの記憶がないのだ。知らないアーティストで知らない曲がかかっていたと思う。目当てにしていたわけではなくて当日たまたまかかっていたのがそのアーティストで、当時の僕には「ボトムライン」に行ってみることが重要なことだったというところなのだろう。精一杯緊張もしていたと思う。だから記憶が欠落しているのかもしれない。公演のパンフレットがあるいはどこかにしまってあるとは思うのだが、不精なもので旅にまつわる一切合切はどこかにまとめて押し込んであって・・・。

ボトムラインで僕は記念にボトムラインのロゴの入ったTシャツとCDを買った。
あ〜、長い前置きでした。そのCDがこれ。Laura Nyroがボトムラインで行った88年のライブの模様を収めたライブ盤。このライブ盤については大昔にここで触れているけれども、このアルバムを買ったいきさつとしてはこんなところ。あ〜Laura Nyro観たかったなあ、と思いつつこのライブ盤を買ったのだ。当時彼女はボトムラインでよくライブをやっていたので、そんなこともあってボトムラインでライブを観たかったのだ、ということも記憶を手繰り寄せるうちに思い出したのだった。

ニューヨークに着いたら聴こうと思って『New York Tendaberry』と『Gonna Take A Miracle』のカセットをウォークマンに入れて持って行った。彼女の曲を聴きながら街を歩いているとニューヨークの街の持つ息吹きのようなものを感じることができた。Frankie Valliの「Native New Yorker」もニューヨークだけれども「New York Tendaberry」もニューヨークだ。この街で彼女は自らの人生と対峙していたのだ。都会に生きることの切迫した空気が彼女の若い頃の作品には迸っていた。歩けば歩くほど、この街には華やかな街のリズムとは強いコントラストをなす深い陰影が横たわっていることを感じていった。
僕にとってニューヨークはLaura Nyroの存在抜きには語れない街だと思う。

このアルバムからはホームタウンの慣れたクラブで息の合ったミュージシャンたちとリラックスしたセッションを繰り広げているのが分かる。張りつめた空気はないけれども当時の新曲も何曲か収められていて安心して聴いていられるアルバムである。
この時は彼女のライブを観ることは叶わなかったけれども、この数年後ただ一度だけ彼女のライブを観る僥倖に恵まれた。彼女の第一声を初めて生で聴いたとき、震えるのが分かった。渋谷のライブハウスが一瞬にしてマンハッタンの街角になった。それは今も忘れることのできない至福のひとときだった。

ボトムラインは9.11を経て2004年に閉館したのだそうだ。

Laura Nyro Oct.18 1947 - Apr.8 1997





今日の1曲


(Kazumasa Wakimoto)




Copyright (c) circustown.net