2013.12.31 | ||
水彩画の町
大滝詠一 大瀧詠一 (1972) |
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今年の年末はいつになくバタバタと忙しくてこの頁もしばらく更新できていなかったので、年末らしくイノセントな曲をレビューしようと思って、昨日まで書きかけていた原稿があったのですが、大晦日になって信じられないような訃報が飛び込んできました。
大瀧詠一さん死去。享年65歳。
それはあまりにも無防備なところに不意を衝いて突然やってきたのです。俄かには信じがたいニュース。
思えば大滝さんという人は若い時から老成しているように僕には思えていて、特に表立った活動から退いて以降は、何か生き急いでいるような気がしないでもありませんでした。隠居するのはまだ早いと我々ファンはみんな思っていたと思います。
昨年永らく続いてきた「新春放談」が終わってから大滝さんの消息のどこかに漠とした不安みたいなものを抱いていたことはありました。もしかしたら大滝さんは自分の時間に思いを持っていたのかもしれないなどとと思うと心が乱れてしまう。あまりにも突然もたらされたこの悲報にちょっと言葉がみつからない。
大滝詠一に邂逅したのは中学の時でした。授業中の教科書の隅にナイアガラのディスコグラフィーを順に書いてみたり、ナイアガラのロゴをいたずらに書いてみたり。乏しい小遣いをこつこつ貯めては一枚ずつレコードを買って、「All About Niagara」をぼろぼろになるまで読みこんだものでした。フィル・スペクターもエルビスもキャロル・キングもバッファロー・スプリングフィールドもクレイジーキャッツも弘田三枝子も大滝さんが指南してくれました。すべての音楽は地続きで凡そジャンルというものに分類して聴くことにさしたる意味はないのだということは大滝さんから学んだことです。ニール・セダカも三波春夫もロックもジャズも音頭も同じ視点に立って聴くこと。
後年FM誌に載った「分母分子論」はポピュラー・ミュージックという切り口で音楽を聴くときの水先案内人でした。音楽を聴くときの依って立つ基盤となっているもののほとんどは大滝さんが教えてくれたといっても過言ではないかもしれない。大滝さんがいなかったら僕の人生はまたちょっと違ったものになっていたかもしれないとさえ思うのです。
もう30年ほども前になりますが、山下達郎さんとの「新春放談」の第1回目でサミー・ターナーの「ラヴェンダー・ブルー」という曲をリクエストしました。曲はかかりませんでしたが、大滝さんにおどけながら「ラヴェンダーの意味知ってるかい?」とまあ、今から思うとどうでもいいようなコメントを貰いました(笑)。
『Niagara Moon』のライナーノートの末尾には「・・・どの音楽も、僕は、あいまいな言葉と云われている“ポップス”という視点からみたい、それは知っている人だけ聴いてくれという事ではさらさらありません。むしろ、知らない人にこそ、その楽しさを知ってほしいし、又知っている人が喜んでくれる分には何も言うことはありません」と書かれています。未知のものを知る喜び、知的好奇心を常にくすぐり、啓蒙し続けてくれた大滝さん。何を書いたらいいのか少しもまとまりませんがただただ感謝の思いしかありません。
大滝さん、ラヴェンダーの意味が分かるくらいには大人になりました。本当にありがとうございました。安らかにお休みください。
“音楽に良いも悪いもなかりけり 聴く人々の耳に合わねば”
Eiichi Ohtaki - July 28,1948 – December 30,2013 rest in peace
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