2014.04.14 - 追悼大瀧詠一 | ||
君は天然色(後編)
大滝詠一 A Long Vacation (1981) |
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前編より。
前回では奇跡のサウンド「天然色」の謎を主にエンジニアリングの観点から追った。今回はアレンジとサウンドプロデュースの観点から追ってみたい。
ロンバケで大滝詠一はどのようにアレンジをし、どのように演奏をさせていたのか。正直、現場監督としての大滝詠一の姿が一番想像しにくい。私にとって大滝詠一は第一には《研究家》である。研究家はありとあらゆる可能性を考えることが仕事であるため、現場が弱い。とても一発では決まらない。であるから大滝詠一の現場は、それこそ Steely Dan か 、Brian Wilson か、艱難辛苦の海と想像していたのである(もちろんどっちの現場も知らないのだけど)。ところが「天然色」の録音はワンテイクであったという。
本番ではテイク1でOKでした。ロンバケはさぞやたくさんテイクを費やしていると思われそうなのですが、どの曲もテイク1か2くらいですよ。(大滝詠一・サンレコ 2011年5月号)
まずは挨拶ですね。いやホントに(笑い)。これは儀式なんですヨ。で、進行の仕方としては、部隊ごとに説明会を行うんです。たいていはまずギターのところに行って「最近どうよ」みたいなところから入って、曲の説明ですね。僕の場合はヘッドアレンジなので、譜面は簡単な構成やキメなんかが書かれてるくらい。なので、口三味線を使いながら「ここで、こんな感じ」って説明する。次にパーカッションのところに行って、また挨拶から(笑い)。(大滝詠一・サンレコ 2011年5月号)
各パートの確認がそれぞれできたら、パート同士を会わせてどうなるかをチェックします。ここが一つの山場になります。ミュージシャン側からは「ここはどうするの?」みたいな質問も出てくるし、合わせてみたら頭の中のイメージと違っていることもある。それがミュージシャン側の問題なのか、エンジニア側なのかなど即座に判断する必要があるのでボンヤリしていられないんですね。(大滝詠一・サンレコ 2011年5月号)
ざっくり言うと、各楽器ごとに解説→部隊ごとの練習→全体練習→本番といった流れでした。大滝さんはヘッドアレンジで簡単なコードと構成だけを決めて進行していく、と伝聞されているようですけど、僕にしたら少し違います。
「鑑、こうしたい」
「それはこんなの?(弾いてみせる)」
「違うなあ」
「ああ、こっちかな?」
「当たり!」
みたいな(笑い)。それをみんなに伝えるリーダーみたいなのが各パートにいると思えば理解しやすい。(井上鑑・サンレコ 2014年4月号)
説明会をしながら各パートを回って、一番最後にドラムに行きますよね。これがスゴイのです。僕ら鍵盤のときは大滝さんと多少アイディアの行き来があったりするのだけど、ドラムは全然違う。特にユカリ(上原裕)のときなんてびっくりですよ。頭から最後まで全部決まっているんです。構成とかも最初から全部大滝さんの頭の中にあったということになりますよね。もしかしたら構成とメロディとドラムだけ頭の中で鳴っていたのかもしれません。(井上鑑・サンレコ 2014年4月号)
ドラムのフレーズなどは口伝で指示され、よく叩けるねーというような、ちょっと聞くと懐かしめ、でも実際演奏するには非常に難しいパターンが頻出する。(中略)細かいニュアンスを指示しながらベーシックの録音が進んでいった。その結果、リズムセクションだけでも完全に成立する音楽が生み出され、無いのはメロディーラインのみといっても良い状態が出来上がった訳である。思い起こせば、演奏上の注文をほとんど受けずに文字通り野放しで弾いていたのは鈴木茂氏一人だけだったかもしれない。茂さんに向かってあれこれ言っても無駄!?という面があるのも確かだけれども、それ以前に全幅の信頼が厳然と感じられた。(井上鑑 Remembering Songbook・NIAGARA SONG BOOK 30th Edition特設ページ Sony Music 2013年3月)
とかく大瀧サウンドはアメリカンポップスのエッセンスを名編集で切り貼りして、という語られ方をするが、現場を知るものから見れば大分ベクトルの逸れた説明でしかない。背景にある文化的知識の量や体験に根ざす感覚、という点では当たっているのだが、大瀧さんの紡ぐメロディーの流れは他の人からは出てこない微妙なバランス感覚の上に成立しており、早い話が日本語の歌としての名作なのである。バックのリズムやコード進行が何かに似ていようがいまいが、実は大した問題ではない。(井上鑑 Remembering Songbook・NIAGARA SONG BOOK 30th Edition特設ページ Sony Music 2013年3月)