2014.09.15
It Might As Well Rain Until September It Might As Well Rain Until September
Carole King

The Dimension Dolls Vol.1 (1963)

十代の頃、所謂オールディーズといわれる音楽に初めて接した頃、Neil SedakaやConnie FrancisやFour Seasonsなんかに混じって最初に聴いたのがCarole Kingだった。「Crying In The Rain」やこの「It Might As Well Rain Until September」はアメリカン・ポップスに触れた最初の頃に聴いた曲で、僕にとっては1丁目1番地にある曲たちだ。

最初はいろんな人のいろんな曲を雑多に聴いていたと思う。ElvisもTokensもChuck BerryもEverly Brothersもいっしょくたに聴いている中に彼女の曲もあった。
そのうちだんだんと系統だてて聴いていくうちに、アルドン、スクリーン・ジェムズの所謂ブリル・ビルディング系のスタッフ・ライター達に行きつく。Jerry Leiber & Mike Stoller、Barry Mann & Cynthia Weil、Neil Sedaka & Howard Greenfield、Burt Bacharach & Hal David、Doc Pomus & Mort Shuman・・・。綺羅星のような作曲家コンビの中にGerry Goffin & Carole Kingのコンビもいた。彼らは毎日のようにお互いにしのぎを削りながら数多くのヒット曲を世に送り出していった。僕が生まれた60年代はきらびやかで遥かな時代だったのだ。

僕がオールディーズを聴き始めたこの当時、Carole Kingはとっくにシンガーソングライターとしての名声を得ていた。『Tapestry』を聴くよりも前に60年代の彼女自身が歌ったヒット曲をはじめ、Little Evaの大ヒットとして知られる「Loco Motion」だったりEverly Brothersの「Crying Rain」といった作曲家時代の彼女の曲に触れていたのだ。そうCarole Kingのキャリアをほぼ順番に辿っていったのだった。後にシンガーソングライターとして内省的な歌を歌う彼女ももちろん好きだけど、60年代に屈託も衒いもなくイノセントな曲をたくさん書いていた時代の彼女が大好きだ。Carole Kingは僕にとってはやっぱりコアをなす人。作曲家としてもシンガーとしても。

“What shall I write? What can I say? How can I tell how much I miss you?”のイントロに始まり、印象的にまとめられたエンディングで終わるこのわずか3分に満たない曲の中に凝縮された9月の切なさと軽い倦怠。
本当に久しぶりにこの曲を聴いて今まで気が付かなかった感動があった。こみあげてくるものがたくさんあった。

少し空が高くなり空気が澄んできて、そんな昼下がりにラジオから流れてくる、鼻にかかったそばかす顔そのままの彼女の歌声を聴いていると、胸の奥に懐かしさとともに何とも言えないピュアで甘やかな気持ちが拡がっていくのだ。
僕の永遠のマスターピース。







今日の1曲


(Kazumasa Wakimoto)




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