2014.12.30 - 追悼大瀧詠一 | ||
雨のウエンズデイ
大滝詠一 (1982) |
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今は言葉にすることに意味はないのかもしれないと思う。長い時間をかけて思いは純化されて心象風景と言ってもいいようなものになってしまっている。それは自分の中で都合よく美化されていて、誰かの前で話すべきようなことではないのかもしれないと思うのだ。
菫色の雨がそぼ降る海辺。そんな風景をいつか見たことがあると思う。
もう少し経つと梅雨が明けて夏が来る。弱い雨で煙った堤防の先で白い波が砕け、湾曲した海岸の突端が霞んで見える。ずっとずっと前からそんな風景を見ていたような気がする。
考えてみると80年代以降の大瀧さんはとても寡作な人だった。と言うよりも80年代にはほぼ創作活動を終えていた。だからこそ思いは長く深く根ざしていくものになっていったのだと思う。繰り返し何度も何度も・・・。
”壊れかけたワ ゲンのボンネットに腰かけて”
この譜割りでなくてはきっとダメだった。
あの頃、あのタイミングで出会えたこと、受け止める心、深く感応する心があって、そしてそれを長く留められる未来があったこと。そのことが僕にとっては本当に幸運だったと思う。詞、曲、アレンジ、演奏、歌、僕の心の持ちよう、どれ一つが欠けてもだめだった。
飽きることもなくさまざまに思いを巡らせてきた。長い時間の流れの中でそれはさまざまに形を変えていった。浮かんでは消えていく言葉を連ねていけばそれはきっと陳腐なものになる。
言葉にすることのできない風景。それはきっと僕だけが知っていればいいことなのかもしれない。