2014.12.31 - 追悼大瀧詠一
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Feeling Jockey
Each Ohtaki
Go!Go!Niagara/ラジオ番組 (1976)
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2014.12.31 初版
2015.01.06 増補版
2015.08.16 改訂版
あなたがつけるBest Always
12月にリリースされた『Best Always』。本人歌唱の「夢で逢えたら」は、心昂ぶる1曲でした。お葬式の参列者のみが聴いた“幻の曲”とならずに公式曲として収録されたのは非常に喜ばしい出来事で、発表にこぎつけた関係者の苦労瓶やたるや推して知るべし、感謝の一献です。セリフ「抱きしめて〜」のクダリにグッと来て、「今宵こそ」も聴き直しました。「今宵こそ」は、歌詞をきちんと覚えていないので、今でも正確に歌うことができませんが(>_<)、鼻歌で良く歌う大切な1曲です。「あツーいツいーツーい、そのんねーを、つよくつよく強く抱きしめぇ〜ヨォーイよーい、こそ〜♪」
『Best Always』というタイトルについては、山下達郎氏もラジオの放送で言及していたそうですが、リック・ネルソンのアルバムをモチーフにしたものでしょう。LPには「私の天竺」も入っていて含蓄深いタイトルですね。
公式メーカーサイトでも<貴方の選ぶ私的十選>というのが立ち上がっているようなのでベストの選曲は、そちらにお任せして、もしタイトルを Amigo Garage で募集していたとしたら、自分はどんな投稿をしただろう?と、いくつか考えてみました。
題して “あなたがつける Best Always 〜ナイアガラ・ベストアルバム〜” です。
(候補)
- 『He's a Label』
- バイクにまたがり“ベスト”を着用したジャケットで
- 『(New Year's Eve) Gift For You』
- スペクターよろしく最後「クリスマス音頭」でご挨拶
- 『Each's Golden Records』
- 3 Each Fans Can't Be Wrong と添え書きのあるジャケット
- 『Each Is Back|』
- 海を渡った汽車ポッポ、新たな「義経伝説」の登場
- 『The New Album』
- エヴァリー・ブラザーズの未発表音源集と同名
- 『Memories of You』or『Memories, Memories 』
- 霧の中のメモリーズ一押し題名、前者はベットミドラーに同名スタンダード集あり
いずれにしろ、どれも『Best Always』や生前本人がつけた(と思われる)『WELCOME TO THE NIAGARA WORLD』には、なかなか及ばないなぁと思います。皆さんも機会があればご考案お願いいたします(^_-)。
*ちなみに『Welcome to the Niagara World』は、エルヴィスのベストアルバム『Welcome to My World』をモチーフにしていたのだと思ってます。
Ondo Songs by Each
ボーカリスト大滝詠一の側面を前面に出した『Best Always』では、ノベルティソングのうち“音頭”ものが封印されていました。自分の中では音頭サイドもイメージが強いのですが、今回、大滝ボーカル作品は「クリスマス音頭」と「ハンド・クラッピング音頭」だけだということに気づきました(しかも、苦労巣三太、イーハトブ田五三九といずれも変名)。もし「ハンド・クラッピング音頭」を「ハンド・クラッピング・ルンバ」の音頭アレンジ(2番煎じ)という解釈にすると、作品としては「クリスマス音頭」のみということになります。寒い日に外を見回りしたあとの「2番煎じ」もいいものですが(志ん朝なんて最高!)、ハンド・クラッピングは「あたたか御飯」の方が僕は好みです。
『Welcome to the Niagara World』音頭部門を代表して選出されていたのは次の3曲。
- 「ナイアガラ音頭」布谷文夫 with ナイアガラ社中
- 「禁煙音頭」竜ヶ崎宇童
- 「イエローサブマリン音頭」金沢明子
いずれも他の人が歌った曲が選ばれていることから、プロデューサー大瀧詠一は自分の歌より“禁煙”を選んだのですね。「禁煙音頭」の最後のセリフ「自分でやめろ!」とは、オンドのことかとイーチ言い。実に意味深(^_^;)。
『レッツ・オンド・アゲン』は、ノベルティ・ソングでの全面展開を行ったために大滝ボーカルで押し通すことはできず、様々な歌手の出演を必要としたアルバムですが、結果として多彩なアルバムに仕上がったと思います。
Feeling Jockey
マクラが長くなりました。
今回は、ラジオ番組「Go!Go!Niagara」の中から1976年4月5日に放送予定で未発表に終わった「Feeling Jockey」という回を取り上げたいと思います。「Go!Go!Niagara」が2001年9月から2002年3月にかけて「Go!Go!Niagara Archives」として再放送された中で初めて放送されたもので(第06回2001年11月5日放送)、自分が『レッツ・オンド・アゲン』以上に惹かれ、今でもよく聴いている放送です。放送時間は約50分、洋邦の楽曲が次々とかかっていきます。曲目の紹介がなかったことから、全貌がなかなかつかめませんでしたが、調査の甲斐あってオンエア49曲中46曲までわかってきました。
(2015.01.06 追記 各位のご尽力により残り3曲についても判明しました。)
「思いついた曲を思いついてから探してかけ」たそうで DJ・Each Ohtaki はどんな気持ちで即自的に何を選曲していくのか、イーチの無意識的な発想、感覚的な選曲に現れる内面性について考えながら、かかった楽曲について、分かった範囲でタイトル等を並べるとともに、選曲した理由を深読みしてみました。
ご本人いわく
これが、ナイアガラのコロムビア時代の最後のアルバムの『レッツ・オンド・アゲン』というものの世界を表しているのではないか、と思いますけれども、この番組の方がアルバムよりも勝(まさ)っているというように思います。
勝てませんでしたネ、結局はコレに(^^;)
とのこと。
明らかに苦しいコジツケ説明、誰も指摘しないだろう新説、珍説などとりまぜて書いていますが、ご笑覧願います。それでは、レッツ・ゴー!
- The Disco Kid / Van McCoy & The Soul City Symphony (1976)
| *この曲だけ決めてスタートとのこと。
★「幸せな結末」で一節入れたBarbara Lewis「Baby I'm Yours」やRuby and The Romantics 「When You're Young and In Love」のようなきれいなメロディも多数作曲の才人。「あなたが唄うナイアガラ音頭」や「趣味趣味音楽」でも「Hustle」のリズムも意識。 |
- Priscilla / Gus Backus (1962)
| Van McCoy → 「Hustle」(代表曲)→ 「Fever」(連想) → Eddie Cooley(作曲者) → 「Priscilla」(これも作曲)つながりでの選曲?
★デル・バイキングスのメンバー |
- 福生よいとこ / 三橋美智也 (1972)
| デル・バイキングスがピッツバーグの空軍基地の中で誕生したことから福生(横田基地)を想起?1975年12月に「ナイアガラ音頭」が完成して、1976年3月にアルバム発表、6月シングル発表の間で、頭に強く残っていた曲(この特集でかかるのは必然)なのでは?1976年当時流行っていたディスコサウンドと音頭の組み合わせはずっとこの頃、頭の中にあったはず。
★GGN第78回 リクエスト |
- TELSTAR / TORNADOS (1962)
<不明>
February Sunshine / Rose Garden (1968)
February Sunshine (Columbia 45 version) / The Giant Sunflower (1967)
| (”Walkin' Down The Street” から始まり、”Happy Happy Sunshine”の歌詞のある60年代末期のソフト・ロックサウンド。)
前曲テルスターは、スプートニクとの衛星打ち上げ戦争。フラワーサウンドのPeacefulな曲と対比か。
前曲チェレスタのキラキラした感じからSunshineのキラキラした感じでつなげた?
トーネードスのプロデュースをしたジョー・ミークが亡くなったのは2月3日(バディ・ホリーも亡くなった日)。2月の曲でつないだ?
”Walkin' Down The Street〜♪”のメロディが、テルスターの出だしのメロディと 似ている(A→F#m)と感じたのでは!?
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- ラジオ体操第1 / 指導(不明) (不明)
| 前曲歌詞「Sunshine」から、「新しい朝」を発想?(2月の朝から吉永小百合「寒い朝」につなげていたら35曲目までワープ) |
- Slowly / Webb Pierce (1954)
| 前曲で「ゆっくり」腕を上げ下げするところから発想? |
- Runnin' Away / Sly And The Family Stone (1972)
| ゆっくりしたカントリーから現代でRun。 |
- 家は出たけれど / 岡林信康 (1971)
| Runnin' Awayそのもの。前曲の印象的なベース、細野晴臣がスライ好きを力説していたのを思い出したのでは? |
- Open The Door (Song For Judith) / Judy Collins (1971)
| 前曲の演奏ははっぴいえんど。バッファローからCSN、ジュディ・コリンズもその流れで思い出したか? |
- Corri Corri / Gianni Morandi (1962)
| “コリ”ンズから「コリコリ」の流れでは? |
- クスリ・ルンバ / アントニオ古賀 (1971)
| イントロのベース、リズムに前曲と共通するもの。ここの流れは見事! |
- Hello, Young Lovers / Frank Sinatra (1951)
| いきなり方向転換。アントニオ古賀(アントニオ・シノポリからのアントニオ)→フランク永井(フランク・シナトラからのフランク)の芋づる連想か? |
- 黒い花びら / 水原弘 (1959)
- Come On, Let's Go / THE McCOYS (1966)
| 前曲の“花びら”から、「家紋」を連想か? |
- Gunsmoke / Lawrence Welk and His Champagene Music Makers (vocal by The Sparkles) (1959)
| 前曲のLabelが「BUNG RECORDS」鉄砲の絵柄。 |
- 津軽じょんがら節 / 寺内タケシとブルージーンズ (1966)
- You Came, You Saw, You Conquered / The Ronettes (1969)
| 前曲から続いて後ろのドラムがバシバシ激しい感じ。
★ GGN第85回 Ronettes 邦題「つめたい恋」。渡辺満里奈「うれしい予感」の「元気伝えよう、今すぐ ♪」を彷彿。 |
- 老人と子供のポルカ / 左卜全とひまわりキティーズ (1970)
| You Came, You Saw, You Conqueredという3回繰り返しからヤメテケレの3回繰り返しを想起?
★「ズビズバ ♪」が強烈。アミーゴガレージ演芸館には、『左徒然のズビズバ館』というコーナーがあった。 |
- The Night Has A Thousand Eyes / Bobby Vee (1963)
- ゴールデン・ハーフの24000回のキッス (24MILABACI) / ゴールデン・ハーフ (1972)
| 前曲で出てきた1000の次は、もっと数の多いものという選曲では? |
- Dixie Chicken / Little Feat (1973)
| イントロのPianoの連打が、前曲の「私、貴方が好き」の歌い方とピッタリと合致。これも見事な選曲。 |
- He's Sure To Remember Me / Brenda Lee (1964)
| ディキシーからタンゴの流れ。
前曲のようにニューオリンズサウンドをやったのが『ナイアガラ・ムーン』、この曲の始めは「Oh Moon」(コジツケ度高)
★「想い出のタンゴ」と題したアミーゴRadio Daysでの取り上げ曲「米国では“B面”でした。(略)でもいい曲で、日本人は“コレ”を選んだワケです。」 |
- The Bird's The Word / The Rivingtons (1962)
| 前曲途中で「Oh birds that fly so high」と鳥が羽ばたくところでフェードアウトして、違う鳥の曲に乗り換えて世界一周に出発(in the west or the east)↓ |
- Non ho l'eta (per amarti) (邦題:夢見る想い) / Gigliola Cinquetti (1964)
| まずは、日本でも流行ったカンツォーネの里、イタリア↓ |
- Harlem Nocturne / Georgie Auld (1953)
| 大人の雰囲気で、黒人街↓ |
- 南部牛追唄 / <不明>南部牛追い唄 保存会会長 橋場昭喜治の歌い声と推定
| 日本に戻り、奥州行き。↓ |
- Rock Your Baby / George McCrae (1974)
| ここが今回のラジオのハイライトでは?南部牛追いの尺八にドラムとベースの音が混じりあう。「ナイアガラ音頭」のシングルバージョンはここが発想の源では。まさか、奥州で弥次郎に会って「岩」をちぎっては投げ、ちぎっては投げの発想から、ロックが出てきたわけではない!?
★ABBA(北欧)にインスパイアで、ジョン・レノンもインスパイアされたそう(Whatever Gets You thru the Night) |
- How Can I Leave Her / The Cyrkle (1966)
| 前曲を歌っているGeorge McCrae次のヒット曲「I Can't Leave You Alone」からの流れでは?
ジョン←fab4←ブライアン・エプスタインの流れもあり? |
- よこはまたそがれ / 五木ひろし (1971)
| 前曲で彼女を残せるだろう?と考えたけれど「あの人は行って行ってしまった」 |
- Send Me The Pillow You Dream On / Hank Locklin (1957)
<不明>太陽はひとりぼっち / コレット・テンピア楽団 (1962)
| (泣きのsaxインスト)彼女が去って、とうとうひとりぼっちになったというイメージ。「コリコリ」がかかったGianni Marandi「太陽の下の18才」主題歌からの流れもあるか。コレット・テンピアのもととなった「寺岡」真三、あとでかかる「お座敷小唄」の前哨戦。
★多羅尾伴内楽團で一節はいっているか。 |
- Mama Loves Mambo / Original Trinidad Steel Band (1960)
| 選曲理由不明。淋しいインストから、所変わって明るいインスト。「Papa Oom Mow Mow」のThe Rivingtonsから“Mama ”へ。ここでいったん世界旅行終わりか? |
- Swinging On A Star / Big Dee Irwin & Little Eva (1963)
| 前曲マンボの終わりが「Tonight」を受けて、星の出てくる曲を選曲?
★ニノ・テンポもそうだが、スタンダードの60年代カヴァーはなかなか興味深いアレンジ。 |
- お座敷小唄 / 和田弘とマヒナスターズと松尾和子 (1964)
<不明> Supersound / Jimmy Castor Bunch, Featuring The Everything Man (1975)
| (早いテンポで「It's lonely violet(?) for break out」 などの言葉を捲りたてて歌う。YMO前夜的。) 回転数を間違えて速く(LPなのに45回転で)かけている。「This song don't need violence for backup」 選曲理由不明。
★ジミーは、フランキー・ライモン&ティーネイジャーズに曲を書いたり、ライモンなき後フランキーに代わって参加の実績。 |
- 船方さんヨ / 三波春夫 (1957)
| 前曲の早いまくりたてる感じは、「秋田音頭」にも通じるが、三波春夫は、新潟「おけさ」系であり、不一致。選曲理由不明。 ウーワーウーワー(フランキー・ライモン)→泳げカナヅチ→船? |
- Summertime Blues / Eddie Cochran (1958)
- Teacher's Pet / Doris Day (1958)
| エディ・コクランの出ている映画「Untamed Youth'」の主演Mamie Van Dorenが「Teacher's Pet」にも出演 | | |
- うらない師のバラード / 西岡恭蔵 (1974)
| ピアノでリズムをとるところが前曲からの流れか?映画「Teacher's Pet」に出て来るクラーク・ゲーブルと髭つながり?
マダムっぽい先生からのながれか? |
- A Thousand Shadows / The Seeds (1967)
| 前曲がラングストン・ヒューズの詩を引用。“詩”→“シ”ーズ | | |
- Good Golly, Miss Molly / Little Richard (1958)
| サイケロックにもロックンロールの原初的息吹を感じたのでは? |
- がんばらなっくちゃ / 南州太郎 (1970)
| ここでノベルティソングを挟むあたりが“音頭の大瀧”の本領。リトル・リチャードの性的指向を直感的にとらえたものか?選曲を「がんばらなっくちゃ」ということか。 |
- She Loves You / Beatles (1963)
- チキチキバンバン / 山本リンダ (1969)
| 南洲太郎をきいているときにリンダが聴きたくなった。
★オーYOUの歌声が、お湯に聞こえる。「呆阿津怒哀声音頭」手湯ママ!、手湯パ!の原型のよう。 |
- Stand By Me / Ben E King (1961)
- 1-2-3 / Len Barry (1965)
- 草競馬 / <不明>古賀政男マンドリンオーケストラ?
- Outta Space / Billy Preston (1972)
| 草競馬のマンドリンとも似ている。最後もこれにするのが決まっていたのではないかと思うぐらい、〆の「Dr. Kaplan'S Office」につながる。 |
いかがでしたでしょうか?
今となっては、たしかめる術はありませんが、
- 水原弘「黒い花びら」→The McCoys「Come On, Let's Go」の選曲は、“花びら”から花の“家紋”を連想したのでは?
- Judy Colins「Open The Door」→Gianni Morandi「Corri Corri」は、“コリ”ンズから、コリコリっとつながった
- Brenda Lee 「He's Sure To Remember Me」→The Rivingtons「The Bird's The Word」で「Oh birds that fly so high」と鳥が羽ばたくところでフェードアウトして、違う鳥の曲に乗り換え
などは、わりと自信説です(^_^)v。
ここで、かかった曲を年代順に並べてみると、1951年から1976年までの曲がほぼまんべんなくかかっていることに気づかされます。洋楽だけでなく邦楽についても50年代、60年代、70年代から選曲されていて、渾然一体とした選曲が精緻なバランス感覚のもとで組み立てられていることに驚かされます。曲も、カントリー、ロック、ポップス、ディスコサウンド、ナンセンスソング、歌謡曲、音頭、カンツォーネなどあまねくジャンルで拾い上げがされていて、時にはジャンルを超えた連続性の発見、時には奇抜な急旋回による意外性の獲得で飽きることがありません。「ナイアガラ音頭」でアメリカン・ポップスと日本の歌謡曲が相剋せずに共存しているのも、ジャンルの隔たり無く、多くの音楽を慈しむ DJ・Each Ohtaki の姿勢が音作りに現れているということかなと思います。
この路線を推し進めた『レッツ・オンド・アゲン』の着想というのは、ボルヘスの「バベルの図書館」のような音楽ライブラリー版の構築というとてつもない夢だったのだと思います。作り上げるには、時間が圧倒的に足りなかったのでしょう。“この番組の方がアルバムよりも勝(まさ)っていた”と自分の作品を相対的な視点で語った評価は正しいのではないか、と思わせるほどに面白い番組でした。
1年後のいちょうの実の僕ら
大滝詠一の歌声が心の中に入ってきたのは、高校1年の冬でした。
近くの小さなレンタルCD屋で偶然、手にした『大瀧詠一』の中の「水彩画の町」は、聞きなれない“花あんず”や“海ほうずき”の出て来るシチュエーションも魅力的なうえに「あーいづち。ぐーー、らいわぁー♪」というハーモニーも印象的で、何度も聞き返しました。
次に購入したのは、歌詞カードのついていない中古の『A LONG VACATION』。他のアルバムがレンタルの棚に並ばなかったため、その後の2年間はこの2枚だけを聞き続けました。強い構想力と深い解釈力に立脚した2枚のアルバムは、自分の日常生活と深くかかわり、思考や嗜好をはぐくむ力となりました。
大学に入ってからは、その2枚に『GO!GO!NIAGARA』なども追加されました。
冬に大イチョウが倒れて1年。千人の黄金色の「いちょうの実」の1つとしては、明日からも大滝詠一の声を聴いて感傷的になったり、大瀧詠一の知恵に思いを巡らせ、仕事や人生の判断をしたりする日々を続けていくのだと思います。時には、ナイアガラ・サウンドを聴き感動したことや、ふと気づいた小さな発見を発信することでしょう。
それは大イチョウの葉を手渡す使命感というより、自らの思弁の実践であったり、これまで聴かせてもらった音楽への感謝の意だったりするのではないかと思います。浜野矩随のように2代目の名人を目指して観音を彫っていくことはできませんが、大瀧さんの深い豊潤な土壌を縦横無尽に魂込めて、掘っていきたいと思います。
“聞く心”がない人には何も聞こえないのは自然でも 都会でも同じです。
つまり、“空耳”の人ほど“聞く心”に溢れているのですね。歌詞を見ながら“忠実”に聞く人は、聞いているのではなく、聞かされているだけです。
《空耳のススメ》とは自分(自由)のススメのことです。
by each
最後に一句。
今宵こそ 思い知らるれ 浅からぬ
君に「おもい」の ある身なりけり(ハァ、ヨイヨイ)
(霧の中のトニー谷)