2017.08.23 - Songwriter | ||
It Might as Well Rain Until September
Carole King [Songwriter] (1962) |
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Songwriterシリーズ、 Carole King を取り上げてみたいと思います。
今回は ニューヨークを中心に職業作曲家として活動していた1967年頃までを3回に分けて取り上げていきます。
Carole King についてはSSBで2001年11月11日から2001年11月25日まで3週間かけてソングライター特集で取り上げられました。
今回のこの Songwriterシリーズでは、年代で追うのではなく、
第1回:ニューヨークで制作された作品群
第2回:イギリスで制作された作品群
第3回:ロサンゼルスを中心に西海岸で制作された作品群
として紹介していきたいと思います。
Carole King こと本名 Carol Klein は1942年ニューヨーク、マンハッタンで生まれました。幼い頃から音楽や演劇に興味を持った女の子だったようです。1958年、高校生の Carole King は既に ABC-Paramount Records から自作の曲で2枚のシングルをリリースしています。その時のアレンジャーに就いたのは Don Costa でした。
高校生時代、友人に Neil Sedaka がおり、Neil Sedaka は Carole King のことを歌った "Oh! Carol" を1959年にリリース。Carole King もそのお返しに詩を変え 同年、"Oh, Neil" をリリースしています。
クィーンズ大学という芸能に明るい大学に進学した Carole King は2人の男性と知り合うことになります。1人は Jerry Landis こと Paul Simon で、既に Paul Simon は Art Garfunkel とのデュオ、Tom & Jerry を結成して、いくつかのシングルをリリースしていました。あともう1人は後の夫となる、Gerry Goffin。彼は職業作詞家を目指している青年でした。2人の協力の下、RCA Victor Records でもシングルを制作。その頃の写真が Carole King のオフィシャルページに掲載されています。
Gerry Goffin と恋に落ちた Carole King は1960年に結婚。すぐ子供が生まれたため、生活のために2人は音楽ではなく普通の仕事に就くことを余儀なくされます。仕事と子育ての忙しい中、Carole King は Neil Sedaka に再会、Neil Sedaka が所属している 音楽出版社、Aldon Music を紹介されます。Aldon Music は経営者 Al Nevins と Don Kirshner の頭文字からきた音楽出版社。2人は晴れて Aldon Music と契約。当時のアイドルやシンガー達に多くの楽曲を提供していくことになります。
第1回は Goffin-King が本拠地となったニューヨークで制作された作品を聴いていきたいと思います。
It Might as Well Rain Until September(Carole King-Gerry Goffin) / Carole King(1962)
元々、Bobby Vee 向けに書かれた楽曲でしたが、それに先立って1962年に Aldon Music 関係の Dimension Records から Carole King 自身がリリース。Gerry Goffin はプロデュースに就いています。US Billboard Hot 100 の22位と シンガー Carole King としても初ヒットに繋がりました。雨上がって空を見上げたら、このメロディが降ってきます。
Dear Mr. DJ Play It Again(C.King-G.Goffin-H.Greenfield) / Tina Robin(1961)
1961年リリースのアイドルポップスの王道路線の楽曲。歌っているのは1950年代から活躍している女性シンガー、Tina Robin。作詞補で Neil Sedaka とのチームで知られる Howard Greenfield が加わっています。
プロデュースは Al Nevins と Don Kirshner の Aldon コンビ。後半部分には当時のヒットナンバーが一節登場してきます。これがいいんですね。
Go Away, Little Girl(Carole King-Gerry Goffin) / Steve Lawrence(1962)
この曲も元々 Bobby Vee のために書かれた曲ですが、素晴らしいのはやはり、Steve Lawrence のバージョン。切なさが100倍上回っています。US Billboard Hot 100 1位を記録。Goffin-King はこれを機にちょっと畑の違う、Steve Lawrence や奥さんの Eydie Gormé に楽曲提供するようになります。その後多くのミュージシャンが取り上げエバーグリーンとなりました。
Hey Everybody(Carole King-Gerry Goffin) / Henry Alston(1964)
1964年、Colpix Records からリリースされた楽曲。Bo Diddley調の曲で、アレンジも Carole King が担当しています。プロデュースは Gerry Goffin。この頃になると自分達でプロデュースも行うようになります。なんとも気持ちよ〜く歌ってますね。あまり知られていないですが、自然と口ずさんでしまうお気に入りのナンバー。
Where Does Love Go(Carole King-Gerry Goffin) / Freddie Scott(1964)
ソングライターでもある Freddie Scott へ提供した楽曲。1963年には "Hey, Girl" という曲も提供しています。今回はよりしっとりとしたこちらの曲を。素晴らしいアレンジは Gary Sherman が担当。
We Love And Learn (Carole King-Gerry Goffin) / Earl-Jean(1964)
Cookies やそのメンバーの Earl-Jean での一連プロジェクトはプロデュース目線でいろいろと試す場でもありました。1964年、Ruby & the Romantics "Our Day Will Come" などのヒットを受けて、ボサノヴァ調に挑戦した楽曲。
Oh No, Not My Baby(Carole King-Gerry Goffin) / Maxine Brown(1964)
The Shirelles と競作となりましたが、Maxine Brown のバージョンが先に世に出ました。アレンジは Bert Keyes が担当。後に、Carole King 自身、Merry Clayton、Manfred Mann、Aretha Franklin、Rod Stewart、Cher、Linda Ronstadt 等が取り上げ、ソウル・クラシックになります。
I Was There(Carole King-Gerry Goffin) / Lenny Welch(1965)
1965年、美声の持ち主、Lenny Welch に提供した楽曲。相変わらずいい声しています。しっとりした楽曲が染みます。ロマンティックなアレンジは Alan Lorber が担当。
(You Make Me Feel Like) A Natural Woman(King-Goffin- Wexler) / Aretha Franklin(1967)
1967年、Aretha Franklin への提供曲。プロデュースは Jerry Wexler。U.S. Billboard R&B 2位を記録。
かつて、Carole King は高校生時代、単身、売り込みのために Atlantic Records の門を叩いたことがあったそうです。念願かなっての Aretha Franklin への楽曲提供です。今ではソウルミュージックの燦然と輝く名曲と呼ばれるようになりました。
2回目に続く。