2018.08.18
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今日をこえて
岡林信康
シングル (1970)
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岡林信康がデビュー50周年を迎えた。「山谷ブルース」がリリースされたのが50年前の1968年9月、そして2018年9月に50周年を記念したセルフカバーアルバムを発表し、改めて全国7都市ツアーを行う。日経新聞にはインタビューが掲載され、『岡林信康withはっぴいえんど7インチBOX』というすごいブツも出たところ。この3月には山下達郎が京都拾得で「今日をこえて」を歌った[注1]。彼の50年という長いキャリアから、最初の3年間を追ってみた。
目次
フォークの神様 : 1968-69
ロックI - はっぴいえんどとともに : 1970
ロックII - 俺らいちぬけた : 1971
参考 山下達郎がコンサートで引用した岡林の曲
参考 はっぴいえんどとの共演ライブ一覧
参考 URC時代のディスコグラフィー
フォークの神様 : 1968-69
岡林は滋賀出身で、1967年ごろ高石友也に感化されフォークソングを歌うようになる。翌1968年9月、シングル「山谷ブルース/友よ」でビクターからデビュー。瞬く間にフォークの神様と呼ばれる存在になってしまう。1968から69年は学生運動のピークであることが背景に。そのころ高石友也は既に「受験生ブルース」を大ヒットさせており、岡林は22歳、後にバックをつとめる細野晴臣21歳、大滝詠一20歳の年。ちなみに山下達郎は高1であった。
1968年9月 | 山谷ブルース/友よ (S) |
1969年3月 | 流れ者/チューリップのアップリケ (S) |
1969年4月 | くそくらえ節/がいこつの唄 (S) |
「山谷ブルース」「チューリップのアップリケ」は岡林のプロテスト哀歌の代表曲である。
山谷ブルース / 岡林信康 (1968)
「くそくらえ」「がいこつ」はAB面とも岡林が得意としたコミカルプロテストソング。「くそくらえ節」は大手が発売できなかったので、URCが会員配布し後に一般販売する。
くそくらえ節 / 岡林信康 (1969)
哀歌とコミカル、どちらもうまい。ステージの客のつかみも含め存在感が圧倒的である。
1969年8月 | 『岡林信康フォーク・アルバム第一集~わたしを断罪せよ』(LP) |
1969年8月 | 第一回中津川フォーク・ジャンボリー (Live) |
デビュー1年を経て『断罪せよ』がインディーズレコードURCの最初の一般販売盤として登場。この頃、演奏は「ギター一本」が基本である。直後の中津川では「友よ」を出演者全員で歌っている。まさにシングアウトで、岡林の声も飲み込まれ最後は大合唱と岩井宏のバンジョーしか聴こえない(『岡林信康ライブ・レアトラックス』で聴けます)。当時学生運動の現場で繰り返し歌われたという。
友よ / 岡林・高石友也・フォークキャンパーズ (1968)
紹介する音はデビューシングル(スタジオ録音)のものだが、高石とのデュエットでもシングアウト状態である。今になって聴くと、必ずしも単純なポジティブソングではないのだが、圧倒的に当時の若者の支持を得た。そして本人はそこにギャップを感じる(ちなみにこの曲の前向き感は高石ともやが現在も受け継いでいます)。
『断罪せよ』にはバンド演奏の重要な2曲が収録されている。「今日をこえて」と「それで自由になったのかい」である。この2曲のバックは元ジャックスのリズムセクションが担当していた。
ロックI - はっぴいえんどとともに : 1970
レコードデビュー1年とたたずに神様と祭り上げられた岡林であるが、ファーストアルバムを発表した1ヶ月後に蒸発してしまう。蒸発の理由は前記のギャップであり、またそれ以前に無理なライブの繰り返しに応えてきた心身の疲弊だったようだ。そして半年後の1970年4月に はっぴいえんど(細野晴臣、大滝詠一、松本隆、鈴木茂)を従えて復活する。
ただし はっぴいえんど とすぐ出会うわけではなく、70年初頭に録音されたシングル2作(「私たちの望むものは」と「それで自由になったのかい」の再録)のバッキングはURCで岡林をサポートしていた早川義夫が呼んだ、元ジャックスや他のメンバーたちであった。
1970年3月 | 『見るまえに跳べ』録音開始 |
1970年4月 | 『岡林信康壮行会』渋谷公会堂 (Live/CD) |
はっぴいえんどとの共演は3月に開始された『見るまえに跳べ』のレコーディングおよび4月24日のライブ「壮行会」からである。なお、はっぴいえんどのファーストアルバム『ゆでめん』(8月発表)のレコーディングはこの頃岡林の『見るまえに』と並行して行われていた。
1970年6月 | 『岡林信康アルバム第二集 見るまえに跳べ』(LP) |
1969年8月 | 『岡林信康ライブ※』第二回中津川フォーク・ジャンボリー (Live/CD) |
※ 本CDは前半分が第二回、後半分が第三回の録音である。
私たちの望むものは (Live) / 岡林信康 with はっぴいえんど (1970)
「私たちの」は中津川フォークジャンボリーからの映像で歌バッキング共に激しいものだが、岡林の音として違和感なく聴ける。中津川でのパフォーマンスは有名で、はっぴいえんどとの集大成のように思っていたが、実はごく初期というべきもので、どうやら4月24日の「壮行会」に次ぐ2度目のライブのようなのだ。
1970年10月 | 『岡林信康ろっくコンサート』日比谷野音 (Live/CD) |
1970年12月 | 『岡林信康コンサート』共立講堂 (Live/CD) |
今日をこえて (Live) / 岡林信康 with はっぴいえんど (1970)
これは最後の方、12月1日の神田共立講堂のライブから。正直、岡林の歌も鈴木茂のギターも適当なのだがすごい、とんでもないものである。岡林とはっぴいえんど のライブ公演は70年4月24日の「壮行会」から71年1月21日の浅川マキらとのジョイントまでの期間である。その間の公演数は実は10回強にすぎない
[注2]。4月(壮行会)、8月(ジャンボリー)、10月(野音)、12月(共立)と節目節目のライブが今CDで聴くことができる(URCとSMSとdisk unionがコツコツ出してくれていたおかげです)。
1970年10月 | だからここに来た/コペルニクス的転回のすすめ (S) |
1971年2月 | 家は出たけれど/君を待っている (S) |
1971年3月 | 自由への長い旅/今日をこえて (S) |
1971年3月 | 私たちの望むものは (お蔵) |
岡林はさらにはっぴいえんどと何度かレコーディングセッションを行いシングルを発表している。彼らの最後の録音は1971年3月29日に行った「私たちの」の再録セッションである。これは当時発表されなかったが、現在CD『URCシングル集+8』などで聴くことができる。『7インチボックス』のおまけ盤もこれである。
ロックII - 俺らいちぬけた : 1971
1971年7月28日、岡林は「岡林信康 自作自演コンサート 狂い咲き」をする。フォークの神様期とロックI期の全曲を歌う企画だった。「狂い咲き」とは岡林さんらしいタイトル。続けて、3枚目のアルバムをリリースする。
1971年7月 | 『岡林信康自作自演コンサート 狂い咲き』日比谷野外音楽堂 (Live/CD) |
1971年8月 | 『俺らいちぬけた』(LP) |
1971年8月 | 『岡林信康ライブ※』第三回中津川フォーク・ジャンボリー (Live/CD) |
※ 本CDは前半分が第二回、後半分が第三回の録音である。
岡林は「狂い咲き」からのバックバンドを柳田ヒログループ(柳田ヒロ、高中正義、戸叶京助)に変更する。3枚目にしてURC最後のスタジオアルバムとなる『俺らいちぬけた』も同メンバーと鈴木慶一らで制作されている。良い曲揃いで、柳田ヒロのキーボードのせいもあってか、とても豊かで心安らぐサウンドでもある。そしてこの71年の中津川フォークジャンボリーの後、岡林はまたもや引っ込んでしまう。中津川の岡林は「カリスマ的な人気は爆発的なものがあったのにもかかわらず、本人はどことなく冷めていた」(なぎら健壱)であった。71年のフォークジャンボリーは吉田拓郎が「人間なんて」を歌って熱狂と混乱などと伝説が伝えられている。フォークの時代が変わったのだろう。
ここまで、1968年9月のデビューからちょうど3年である。たった3年である。岡林の3年の足跡を辿るだけで、まるで長編の映画を観たような錯覚を覚えた。この3年間の記録が、3枚のオリジナルアルバム、2枚の編集盤、それに8タイトルのライブ盤として残されている
[注3]。
[注1] 山下達郎が京都拾得で「今日をこえて」を歌った
山下達郎は自身のコンサートの終盤で歌う「希望という名の光」もしくは「蒼氓」でしばしば岡林の曲を引用している。
山下達郎がコンサートで引用した岡林の曲- 「今日をこえて」 2013, 2015-16 on「希望」
- 「私たちの望むものは」 1998-99, 2017 on「蒼氓」
- 「友よ」 2008-09 in「蒼氓」, 2011-12 on「希望」
年はツアー年度(山下達郎 PERFORMANCE xxxx)
[注2] 岡林とはっぴいえんどの共演回数について
『はっぴいえんどBOX』(2004)の付属本の年表から岡林と一緒にいたコンサートを抜き出すと以下の12公演しかない。他にラジオ出演があり、また学園祭での岡林との共演の可能性はある。現在入手可能な音源には「*」を付した。
はっぴいえんどとの共演ライブ一覧
1970年- 4月24日 *「岡林信康壮行会」渋谷公会堂
- 8月8-9日 *「第二回全日本フォークジャンボリー」中津川椛の湖
- 9月16日「日本語のろっくとふぉくのコンサート」日比谷野音(ジョイント)
- 10月3日「岡林信康コンサート」千代田公会堂
- 10月9日 *「岡林信康ろっくコンサート」日比谷野音
- 10月19日「岡林信康ろっくコンサート」大阪フェス
- 10月23日「岡林信康ろっくコンサート」名古屋市公会堂
- 12月1日 *「岡林信康コンサート」神田共立講堂
- 12月22日「ニューロック&ニューフォーク魂にふれるコンサート」立教(ジョイント)
- 12月23-24日「ロック・カーニバル#1」日劇(ジョイント)
1971年- 1月6日「はしだのりひことクライマックス結成コンサート」大阪フェス
- 1月21日「岡林+浅川マキ+黒田征太郎+αジョイントコンサート」新宿厚生
[注3] URC時代のディスコグラフィー
フォークの神様期(フォークスタイル)
- 『あんぐら音楽祭 岡林信康リサイタル』1969年3月29日 神田共立講堂
- アルバム『わたしを断罪せよ』1969年8月発表(内2曲は元ジャックスがサポート)
- 『岡林信康ライブ レアトラック(1-3)』1970年8月9-10日 中津川フォークジャンボリー
- 『岡林信康ライブ レアトラック(4-5)』1969年8月17日 京都円山公園
ロックI期(はっぴいえんど)
- 『私たちの望むものは 音楽舎春場所実況録音』1970年4月12日 文京公会堂 w/ 渡辺勝、稲葉正三、 小川敏夫(解説には「おまわりさん」「チューリップ」「山谷」「お父」は24日渋公とあるが「ラブゼネ」と「今日をこえて」の2曲もはっぴいえんどの音がしており、この2曲も12日文京ではない可能性がある)
- 『岡林信康壮行会』1970年4月24日 渋谷公会堂
- アルバム『見るまえに跳べ』1970年6月発表(はっぴいえんどは M1,2,3,7,9,11)
- 『岡林信康ライブ 中津川フォーク・ジャンボリー(の1-5)』1970年8月8-9日 中津川
- 『岡林信康ライブ レアトラック(6-8)』1970年8月8-9日 中津川
- シングル「だからここに来た」「コペルニクス的転回のすすめ」1970年10月発表
- 『岡林信康ろっくコンサート』1970年10月9日 日比谷野外音楽堂
- 『岡林信康コンサート』1970年12月1日 神田共立講堂
- シングル「家は出たけれど」「君を待っている」1971年1月発表
- シングル「自由への長い旅(single ver)」1971年6月発表
- はっぴいえんどとのスタジオ録音コンプのためにはアルバム『見るまえに』および上記シングル曲と「私たちの望むものは(お蔵)」を『URCシングル集+8』などで入手する必要がある。
ロックII期(柳田ヒログループ)- 『岡林信康自作自演コンサート 狂い咲き』1971年7月28日 日比谷野外音楽堂
- アルバム『俺らいちぬけた』1971年8月発表
- 『岡林信康ライブ 中津川フォーク・ジャンボリー(の後半)』1971年8月7-9日 中津川
- 『岡林信康ライブ レアトラック(9-10)』1971年8月7-9日 中津川
- 『岡林信康ライブ レアトラック(11)』1972年8月31日 日比谷野音(バック: 加藤和彦、中川イサト、西岡たかし)
コンピレーション- 『大いなる遺産』1972年のURC編集盤、ビクターを含むシングル音源等のまとめ
- 『岡林信康URCシングル集+8』2009年du編集盤、『遺産』を強力に(ほぼ)アップグレードしたもの
- はオリジナルスタジオアルバム、他はライブアルバム(またはコンピ)
本稿を作成するにあたり、以下の文献等を参考にしました。
(たかはしかつみ)