東京オリンピックの閉会式で、宮沢賢治の「星めぐりの歌」が歌われました[1]。賢治(東北)とドビュッシー(フランス)をよく冨田勲で繋いだなと思います。本サイトでも以前初音ミクで紹介したことがあるのですが[2]まだまだどこか不思議なのです。改めて「星めぐりの歌」の謎に迫ってみたいと思います。
星めぐりの歌
あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の つばさ
あをいめだまの 小いぬ、
ひかりのへびの とぐろ。
オリオンは高く うたひ
つゆとしもとを おとす、
アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち。
大ぐまのあしを きたに
五つのばした ところ。
小熊のひたいの うへは
そらのめぐりの めあて。
「星めぐりの歌」は、何のために書かれた曲だったのでしょうか。
「星めぐりの歌」とその歌詞は童話『双子の星』で出てきました。歌と言っても誰かが歌うわけではありません。この登場人物の双子の星は「星めぐりの歌」に合わせて銀笛を夜通し吹くとされます。星めぐりとは星座の動きや星のまたたきで、それが賢治には天空の歌に聞こえた、ことかと思います。星めぐりは『銀河鉄道の夜』にも登場し、カンパネルラやジョバンニが口笛で吹きます、こちらでは歌詞は出てきません。
「星めぐりの歌」は、どのように発表されたのでしょうか。
『双子の星』は賢治が22歳のころ(1918年)には書かれていたといい、その時すでに「星めぐりの歌」のメロディーもできていて、家族ら周囲に聞かせていたそうです
[3]。賢治の頭の中では、童話なのか舞台脚本なのかといったことと関係なく、音楽つきの物語ができていたのでしょう。
しかし「星めぐりの歌」は、『双子の星』あるいは『銀河鉄道の夜』と同じく、彼の生前に発表されることはありませんでした。大半の賢治の作品もそうでした。この2篇と「星めぐりの歌」は、賢治の没直後の1933年から1935年にかけて順次、弟の宮沢静六らによって世に送り出されました。曲は賢治の楽譜は存在せず、静六の記憶に基づき賢治の友人の藤原嘉藤治が採譜したものが楽譜として出版されました。
「星めぐりの歌」の旋律は、どのように着想されたのでしょうか。
宮沢賢治は、驚くほどレコードが好きでした。裕福な家庭に生まれ、蓄音器があまり日本になかった時代から両親は義太夫のSPレコードを聴いていたそうです。そこにクラシックを中心とした洋楽のレコードが流通するようになり、賢治は音楽に夢中に。1番のお気に入りのベートーヴェンを始め、SP盤を300枚以上買い集めたとのこと。教員となって給料が入ればレコードを買ってしまうという、わたくしたち的にも笑えない(汗)人だったようです。また、進学した盛岡中学校の米国人英語教師が牧師でもあり、その影響で中学の隣にあった教会でオルガンにも深く親しみました。こんなことで、賢治はミニ音楽会やレコード観賞会を幾度となく開催するに至ります。もう少し長生きすれば、音楽家としても現代に伝えられたかもしれません。賢治 (1896生)は、山田耕作 (1886生)、古関裕而 (1909生)の中間の世代でした。
さて、それ程の音楽好きの賢治ですが、この不思議な旋律はどこからきたのか。この曲はナポリ民謡 "Fenesta Vascia"(低い窓)から着想を得たのではないか、という研究があります
[4]。16分音符で独特の跳ねる感じは似ています(興味がある方は探してみてください、パヴァロッティが歌っています)。ただこれだけでは、断定は難しいと思いますが、複数の状況証拠(^^)があるというのです。一つは賢治が "Fenesta Vascia" の旋律が引用されたレコードを持っていたこと、もう一つは賢治が "Fenesta Vascia" が物語の中で歌われる小説を幼少のころからとても好きだったこと、の2つです。前者はフランツ・リストの『巡礼の年 ヴェネツィアとナポリ』。その第3曲「タランテラ」の中間部のメロディーがリストがナポリで聞いた民謡を引用したものです。後者はエクトール・マロの『家なき子』です。同民謡は、主人公レミが売られた先の一座の座長ビリタスから習い、物語の大事な場面で歌います。筆者はこれらを佐藤泰平先生の研究から知りました
[4]。また『家なき子』での民謡の扱いの機微は武田雅子先生の書き物から知りました
[5]。楽曲のアイデアの起源は他人が簡単に論じられるものではなく、もはや賢治にきくこともできません。しかし『家なき子』と「リストのピアノ曲」から「星めぐりの歌」への繋がりの話には胸が熱くなります。そしてそれだけでなく、賢治には天文への愛があり、詩人でした。
今日の1曲
『星めぐりの歌』『shining girl』/ 平井真美子、坂本美雨
2020年11月23日、芦屋市立美術博物館 美術と音楽の9日間「rooms」のライブ配信より
注釈と参考文献
※本文中に引用しなかったが、岩手朝日テレビでのんちゃんが案内する番組
[6]が賢治の音楽への姿勢をよく総括しています。
[1] 「星めぐりの歌」は東京オリンピックの閉会式で、大竹しのぶと杉並児童合唱団によって歌われた。続けて冨田勲演奏のドビュッシー「月の光」が演奏され聖火が消えた。
[2] 星めぐりの歌 / 初音ミク
https://www.circustown.net/new/book/20150626hm/
[3] 宮沢賢治歌曲集『ポランの広場』解説
https://www.chopin.co.jp/products/vocal_music/porannohiroba.html
[4] 佐藤泰平先生の研究。氏は賢治の研究家でオルガン奏者。賢治が聴いたSP盤の体系的収集。「宮沢賢治の音楽」筑摩書房 (1995)ほか。岩手朝日テレビの番組[6]にも出演されています。
[5] 【ポエトリーの小窓】その11「『家なき子』をめぐって」 文・武田雅子
https://hanabun.press/2021/03/25/takedamasako_11/
[6]「賢治文学とクラシック〜のんが解くダダダダーン〜」岩手朝日テレビ 2017年2月放送
https://www.iat.co.jp/kenji/
(たかはしかつみ)