Brian Wilson のコンサート、7月12日の東京初日を見ました。舞台は予想を越えた感動を与えてくれました。その理由はブライアンの大きな存在にあったと思います。彼がどんな魔法を使ったのか、その辺りを考えてみたいと思います。
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ブライアンは歌えるのか?これは客席の最大の関心事の一つであったと思います。10人からなるバック・バンドの中の一人がご存知 Jeffley Foskett だったのですが、彼がブライアンの「天使」のパート、すなわち美しいファルセットのパートを完璧に勤めていました。一方ブライアンはジェフに隠れたり、あるいは下のパートを歌っていました。ですからマイクのソロ・パートをブライアンが歌うわけです。例えば「California Girls」は「今のブライアン」がソロで、バックで「かつてのブライアン」が歌っているような感じなんです。このことに筆者は深くふかく感じ入りました。 |
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ポピュラー音楽というのは、その場限りのもので、なかなか再現が難しいといわれています。Mick Jagger だって Paulだってコンサートではかつての自分の姿や声と格闘しています(それが美しくもありますが)。まして再現を他人にゆだねると、これはナツメロ・ショーになってしまいます。Elvis のそっくりさんみたいにコミカルと思われる場合すらあります。しかしブライアンは全くの別世界にいました。The Beach Boys の音楽の「型」をバッキング・メンバーに伝え、その中心に座していたと思います。 コンサートの序盤は、実はブライアンがどの程度このコンサートに関与しているのかわかりませんでした。マニアックでよくビーチ・ボーイズを勉強したバックの前でただ歌ってるだけ?しかしそんな気持ちも、あっという間に間違いであることがわかりました。バンドの血の通った演奏と、あの選曲、それに時おり見せるあの表情のせいです。ブライアンは歌詞の確認に大統領とかが使いそうな透明なプロンプターを使っていたのですが、筆者の席は前から3列め、しかもプロンプターの視線の先でした。至福の右45度を味わわせていただきました。 ブライアンはビーチ・ボーイズの音楽の「型」を教え、しかも音楽の「精神」をバンド全員に伝えることに成功していたのではないでしょうか。昔日のシンガー、ブライアンはもういませんが、コンポーザーそしてコンダクターというブライアンの音楽性の核がくっきりと見えました。筆者は席が近かったこともあり、まるでブライアンのスタジオに立ち会っているような気さえしました。これって僕らが正しく見たかったものですよね。しかもブライアンは「Pet Sounds」のインストが奏でられるのを聞きながら、イスの上でクルクル回っている!録音芸術のためのポピュラー音楽が、オリジナル・アーティストの手を離れても舞台上で息づくことに成功した画期的な瞬間です。ビーチ・ボーイズの音楽はステージの上でも永遠のものとなったと思います。 |
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日本公演チラシ 〈大阪公演〉 1999/7/9(金) 大阪フェスティバルホール 〈東京公演〉 |
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Brian Wilson TOUR '99 パンフレット |
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ブライアンのコンサートは歌舞伎の老優の舞台を思わせました。役者は年につれ、演じる役を若手にゆずり、それでいて老優でなければできない世界を作ります。役者の創造は「型」として永遠に伝わります。後世の役者は「型」を通じて「心」を学びます。その意味で、すばらしかったジェフリー・フォスケットに尊敬を込めて「二代目」を、ブライアンには愛情を込めて「初代 浜翁」を贈りたいと思います。 |
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ソロ・パートに、ハーモニーの一部分に、オリジナル録音とは違った役割でもブライアンは気持ち良くはまっていました。マイクやアルのために作った見せ場すら、まるでこの日、自分で歌うために用意したよう。そう、この日の音楽は60年代のブライアンから、90年代のブライアンへの贈りものであったと確信します。 |
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