Mother's Spiritual (Columbia FC39215) |
『Nested』の発表直後に出産した彼女は再び音楽活動から退きます。出産・育児に専念したためではないかと思われますが、この間彼女はニューヨークを離れニュー・イングランドの片田舎に居を構えごく普通の生活をしていたようです。育児の傍ら、フェミニスト・グループなどとも交流し、そうした体験を少しずつ曲として書きためていたのではないでしょうか。6年の沈黙を破って1984年になって突如として発表された新作、『Mother's Spiritual』にはそんな彼女の生活の中から生まれてきたと思われる曲の数々が収められています。全体の雰囲気は前作『Nested』の流れを受け継いでいますが、コンセプトはもっとそれを押し進めたものになっています。"dedicated to the trees" とクレジットされているとおり木々と子供達への賛歌、そして彼女がこの数年で考えてきた彼女なりのフェミニズムが明確に表現されています。「Talk To A Green Tree」にはそうしたこのアルバムのコンセプトが象徴的に表現されています。「To A Child」は彼女の長男 Gil に捧げられた曲でサブ・タイトルも「Gil's Song」。母の限りない愛に満ちた佳曲です。この曲を書いたときのことを彼女は、「実は、もういつ死んでもいいわと思いました。(笑)いいえ、本当は、オーケー。引退するわ、と。(笑)この世界で頑張るのも終わり。母親も経験したし。これが私の最後の言葉。もう残りの人生で戦う理由はないって。(笑)でも結局引退はしなかったけど。(笑)」と語っています。彼女は次作でもこの曲を取り上げているほどで、特にこのころの彼女の気持ちが代弁されていると言えましょう。アレンジはこの時代にしてはきわめてオーソドックス。ミュージシャンやスタッフにも積極的に女性を起用しています。また、彼女の古くからの友人である Todd Rundgrenが彼女のプロデュースの手助けとキーボードの演奏で参加しています。
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Live At The Bottom Line (Cypress YD6430) |
『Nested』以降の彼女の作品は尖ったところがとれて母性や自然といったよりグローバルな視点で描かれたものが多くなります。曲調や歌い方も穏やかになり、70年代初頭に街の孤独をほとばしるような緊張感で表現していた彼女とは明らかに一線を画しています。Todd Rundgren もフェミニズムに傾倒する彼女を「ちょっとついていけない」と評していますし、突き進んだフェミニズムにちょっとしたショックを覚えたりもします。同様にそうした彼女の変化を「つまらなくなった」と評する向きもあるようですが、逆に一人の女性の内面的変化や成熟というものが、音楽を通してここまで赤裸々に表現された例も珍しいのではないでしょうか。ごく自然に歳を重ね、その時々の自分の在り様をそのまま音楽に反映していく。その姿がとてもすがすがしく映るのは私だけでしょうか。確かに才気走ったかつての彼女の姿を、近作に求めるのは無理かもしれません。いつまでも同じテンションを求めていくのは不可能なわけですから。しかし一人の女性のしなやかな変遷を音楽を通して感じることができる。それは結果的にどんな表現形態をとっていたにせよある種の感動を覚えずにはいられません。1988年夏、地元ニューヨークはボトム・ラインで行われたライブで彼女は健在ぶりを発揮します。このライブの模様は翌89年 "Cypress" というレーベルから『Live At The Bottom Line』というタイトルでリリースされます。一枚目のライブ・アルバム『Season Of Lights』に比べてよりリラックスした雰囲気が伺え、彼女自身もこのアット・ホームなアルバムが気に入っていたようです。新旧取り混ぜた選曲には新曲も収められており、特に次作にも収録されることになった弾き語りによる「Broken Rainbow」は白眉。この曲は元々ネイティブ・アメリカンのことを描いたテレビのドキュメンタリー番組のテーマ曲として作られたそうです。
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Walk The Dog & Light The Light (Columbia CK52411) |
"walk the dog & light the light" 日常の会話から漏れだした何気ないこの言葉が今となってはとても切ない響きとなって聞こえてきます。1993年実に9年ぶりとなった彼女の新作『Walk The Dog & Light The Light』は Steely Dan のプロデューサーとして知られる、Gary Katz をプロデューサーに迎えてレコーディングされました。彼女の歌に呼応してアレンジに華美さはないものの、Steely Dan を思わせるエッジの効いたオーソドックスなサウンドになっています。1曲目の「Oh Yeah Maybe Baby (The Heebie Jeebies)」で彼女のア・カペラから始まるイントロを聴いたその瞬間に一気に彼女の世界に引き込まれていくのを感じることができます。長いキャリアを通して彼女が題材としてきた詞の内容も、少しずつ変わっていきますが一貫しているのは「音楽は、私にとっては、私が話したい言葉そのものだった。」ということ。歳を重ね様々な人生の局面を経験してきた彼女に巡り巡って残ったのはそんな極めてシンプルな事実だったのではないでしょうか。そう感じさせるかのようにこのアルバムは非常に端正です。決してドラマティックな演出を試みているわけでもなく、声高に何かを主張しているといった風もありません。しかし、そこには歌そのものに込められた彼女自身のメッセージがとてもクワイエットに響いてきます。よけいな装飾を一切そぎ落として彼女の歌にのみ収斂していくソウル。これからも肩の力を抜いてそんなふうに彼女は歌っていくのだと、思いました。
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1994年早春、新作を携えて Laura Nyro は久しぶりの来日公演を果たします。最初で最後、ただ一度きり聴いた生の彼女の歌声でした。実際の彼女はジャケットなどで見るよりも幾分ふくよかだなあ、というのが第一印象。そしてはじめて生で聴いた彼女の歌声は本当にすばらしいものでした。メリハリのある表現力豊かなヴォーカルは健在でした。彼女は前述のとおり以前から日本をモチーフにした作品をいくつか作っており親日家としても知られています。このときも京都まで足を延ばしたそうですが、彼女にとってとても楽しい旅だったようです。
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Tonin'/The Manhattan Transfer (Atlantic 82661) |
同じく1994年には The Manhattan Transfer の企画アルバム『Tonin'』に参加しています。The Manhattan Transfer がゲスト・ヴォーカリストとコラボレーションするというこの企画、Frankie Valli、Felix Cavaliere、Smokey Robinson、Ben E.King ら大物達に混じって彼女も1曲、「La-La Means I Love You」でリード・ヴォーカルとピアノを演奏しています。アレンジはこのアルバムのプロデューサーでもある旧知の Arif Mardinと彼女自身が担当しており、息のあったところを見せています。そして、これが彼女の最後のスタジオ録音となってしまいました。
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The Best Of Laura Nyro (Columbia 485109) |
そして1997年初頭、30年に渡る彼女の音楽活動の集大成とも言えるベスト・アルバム『Stoned Soul Picnic The Best Of Laura Nyro』が発表されました。CD2枚組にわたってほぼ年代順に収められた、まさに代表曲の34曲は初めてのリスナーにも聴きやすいようにと、彼女の詳細なバイオグラフィーと本稿でも取り上げたインタビューも収録されています。また未発表音源として93年、94年にボトムラインで行われたライブから「And When I Die」と「Save The Country」のライブ・バージョンも収録されていて、長年のファンにもうれしい内容です。そう、彼女は94年にもステージに立っていたのです。「変わらずにマイペースな活動をやっているな」と思っていたのでした。
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訃報は突然やって来ました。1997年4月8日、癌との辛い戦いの果てに Laura Nyroは、コネチカットの自宅で最愛の息子 Gil と彼女の生活上のパートナーであった Maria Desiderio に見守られて、その生涯を閉じたのでした。享年49歳。あまりにも早い旅立ちでした。ニュー・アルバムや3枚目のライブ・アルバムも計画していると語っていただけにとても残念です。思えば、ジャズの影響を大きく受けていた彼女の曲は、シンプルに見えて実は複雑なコード進行を持っており、決してコマーシャルな大衆性を持ち合わせていなかったという点においても、常に孤高の響きを感じさせてくれるものでした。それでも、彼女の曲を取り上げたアーティストは非常に多く、そこには普遍的な何かを感じることができます。彼女の作り上げた音楽と、その音楽に吹き込まれた高い精神性は、アメリカン・ミュージックの偉大な軌跡として、これからも多くのアーティスト達の手によって受け継がれていくことでしょう。安らかに。私たちは決してあなたを忘れない。
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