第2回 : 宮治淳一さん



ラジオから聴こえてきた音楽人生

-最初に、宮治さんが初めて「音楽」と出会った頃のお話をお聞きしたいと思います。一番最初に買ったレコードは何ですか?
 親に買ってもらったレコードは「エイトマン」、歌は克美しげるでB面は「北京の55日」でした。自分でお金を出して買ったのは1967年、小学6年の時で「ある晴れた朝、突然に」という映画のサントラでした。

主体的に音楽を聴き出したのは Beatles が最初で1964年、Beatles が日本で流行り出した頃、小学3年の時でしたね。あと、「Sherry」が好きでしたね。 Four Seasons っていうのは知らなくて、もっぱらダニー飯田とパラダイスキングのやつでした。64年3月に入って自分の家に、昔でいうモジュラー・ステレオっていうのが来たんです。5才上に姉がいるんですが、その時彼女が中学2年で僕が小学3年でちょうど Beatles が流行っていた頃なんです。いっしょにFENとかトップ10番組とか聴いていたんですね。姉の傍らでラジオを聴いていたら、だんだんと自分の方が音楽が好きになってきた。その頃はとにかく Beatles のレコードが欲しかったですね。

ちゃんと買えるようになったのは中学に入ってからです。3ヶ月に1枚という感じでした。茅ケ崎の地元のレコード屋、「チヤマ」で買ってました。

-湘南、茅ケ崎だと加山雄三さんなんかがいらっしゃったので若い人も音楽に入りやすい状況があったんですか。
 全然ないですよ。ただの田舎町です。デトロイトに Motown Records があり、シカゴに Chess Records があるみたいな(笑)音楽的アドバンテージなんてそんなもんないですよ。ただのどこにでもある田舎町です(笑)。たまたま喜多嶋さんや加瀬さんにお会いしたことがあったんですが、あの時代、高校生でフェンダーのギターを持っていましたからね。あの頃で25万円くらいしたんだから信じられないですよ。今の25万円と価値が違う。でも別に隣に住んでいたわけでもないので影響なんてまったくなかったですよ。

小学生だったからシングル盤一枚買えないわけです。カセットテープの前、カレッジエースっていう5インチのオープンリールのテープレコーダーがあったんですが、それでテレビとかラジオにマイクを近づけて家の人に「しっ、ちょっと黙ってて」とお願いして録音していました(笑)。その頃はライン入力録音とか知らなかったですから(笑)。

-邦楽も洋楽同様に聞いていたんですか?
 日本語の曲、日本語でない曲の差はあまり感じなかったです。スパイダースも Beatles も聴いてました。ただ演歌とか舟木一夫のような歌謡曲は聴かなかったです。ロックっぽいポップスが好みでした。

-系統立てて今につながるコレクションのような買い方を始めたのはいつ頃ですか?
 それはずっと後。中学高校時代は Beatles を集めるのがひとつの目標でしたね。Beatles が集まり終わった頃が高校で、その頃流行っている曲があまり好きじゃなかったの。それよりも小学校ぐらいの頃、アネキの影響で聴いていたものを買いたくてしょうがなかったです。もう既にラジオではその頃の曲はかからなくなっていましたから。

ちょうどその頃、70年代初めに第1次オールディーズ・ブームというのがあったんです。東芝をはじめいろんなところがオールディーズのオムニバスを出しに出したんですが、それを少しずつ集め出したんですよ。


ビートルズに熱中だった中学高校時代

-サザンオールスターズの桑田さんとは幼なじみだと聞いたことがあるのですが。
 小中学校が一緒でした。桑田さんとは幼なじみで、クラスが一緒になったのは中学3年の時ですが、野球部で中1の時から知ってたんですよ。まさか音楽を聞くような男だとはそれまで知らなかった(笑)。中3になって初めてクラスも一緒になって、やたら Beatles のことを知っていて「何で、Beatles のことそんなに知ってるんだよ」という話になって、家に行くとレコードが全部あるんですよ。彼には4つ上に姉さんがいたんですね。

その当時、僕は中学3年の10月に Beatles をやっと1枚買ったばかりだったんで、それはマズイ!ってんで彼のアネキがいない時、家に行ってこっそり聴いてました。家に行って聴くという、すごい時代でしょう?

 中学3年の3学期に George Harrison の『All Things Must Pass』が出たんですが、当然のことながら、高くて買えなかったんですよ。3枚組で当時五千円ぐらいでした。シングルで「My Sweet Road」が出るというので、「チヤマ」に発売日の前の日の夕方に入るという情報を聞いて行ってみたんです、5時頃。まだなくて2時間ぐらい待って閉店頃にやっと入ってきたの。

そして次の日に学校に行って、音楽の先生に「あの〜、すいません、昼休みにレコード聴きたいので音楽室のカギを貸してください。」とお願いしたら、「あ、レコード?いいよ。」と許可をもらった。音楽室には結構、いいステレオセットがあったんですよ。桑田君とあとおそらく5人ぐらいで、音楽室にそ〜っと入って、大音量で「My Sweet Road」を聴いたんだよ。そしたら、だんだんといろんな人が音楽室に集まってきた(笑)。

 高校時代もDJとか選曲とかやりたいと思って放送研究会に入りたかったんですが、結局ブラブラ。帰宅部でした(笑)。 高校1年の時、まだ「A Hard Days Night」すら観たことなかったし、ましてや「Help!」も「Magical Mystery Tour」も観たことなかった。ビデオも何もない時代。たまにビートルズ・ファンクラブがまだ入口が逆の方向にあった頃の日本青年館で千円くらいでコマ落ちしたようなフィルムを上映していたんですよ。桑田さんとは別々の高校に進学したんですが、そんな Beatles の映画のフィルム・コンサートにいっしょに行っていました。

 そんな感じで目が東京にいっていてそっちが面白かったのでクラブ活動とかやってられなかったんです。普段何も買わないで食べないで我慢してお金を貯める。お金が貯まったら月1回、ハンターに行くんですよ。朝一番10時開店に行って、昼飯も食べないで閉まるまでお店にいるんです(笑)。茅ケ崎から東京はまだ遠いところだったんですよ。



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