第2回 : 宮治淳一さん |
ロック・イベントの開催 〜「サザンオールスターズ」の名付親?! 高校3年になった時に僕の学校で学園祭があって、僕がその学園祭のロック・コンサートについて取り仕切ることになったんです。茅ケ崎周辺のバンドを参加させようということになって、桑田君にそのことを話してみたら、「オレも最近ギター、始めたんだよ。バンドやってんだ。」当然のことながら、Beatles のコピーバンドでした。そして彼が僕の学校に来て演奏をしたんです。おそらく彼が演奏した最初じゃなかったでしょうか。 73年の学園祭の後にまた彼と会って、定期的にコンサートとかあった方がいいなあ、という話になり、そういうサークルを作ることになりました。大学に入ったら、地元の公民館でも借りてやろうということになっていたんですが、僕が大学に入るのが遅れたんでその計画が一年頓挫したんですね。彼は彼で青学の軽音楽サークルに入りました。僕も75年に大学に入って、一年遅れたけどコンサートをやるかってことで「湘南ロックンロールセンター」というサークルを作ったんですよ。 76年の4月だね。"サザンオールスターズ"という名前を僕が勝手につけてこのポスターに書いた(笑)。 |
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-これが「サザンオールスターズ」の名前が世に出た最初なんですね。
彼は青学の連中を連れてきて「青学ドミノス」と名乗って3回ぐらい出演していました。それからも訳わかんない名前で出てました(笑)。4回目くらいにパーマネントに近いメンバーに恵まれたと言って「バンド名は?」って聞いたら、そんなもんはないって言うんです。一応、僕はポスターも作らないといけなかったので、バンドの名前が決まったら教えてくれ、と伝えたんですが、例によっていい加減ですから電話してこない(笑)。ポスターが遅れるとマズイってんで、間に合わせ的にこの名前をつけたの。その時、本人、何も知らない(笑)。 コンサートの当日、藤沢青少年会館にきた彼に「今日は"サザンオールスターズ"って名前を勝手につけたから、それを名乗って出てくれ。」(全員爆笑) 1曲、ジャ〜ンと終わったら、「は〜い。サザンオールスターズで〜す」と言っていた(笑)。 |
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-"サザンオールスターズ"っていうのは、どこから発想したんですか?
このポスターを作るために謄写版を買ったんですが、このポスターを、Neil Young の『After The Gold Rush』を延々と聴きながら作っていたんです。それで手が真っ黒になって休憩して風呂に入ってニッポン放送を聴いていたら、ラジオから「サルサの帝王、Fania All Stars 。ついに来日!」と聞こえてきた。その「オールスターズ」が頭に残っていて・・・、そして風呂から上がってきたら Neil Young のそのアルバムから4曲目の「Southern Man」が流れていた。「ファニア・オールスターズ」と「サザン・マン」で「サザン・オールスターズ」。 「あっ、これでいいや」と(爆笑)。 -運命ですね。 |
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-大学でのサークル活動について教えてください。
高校時代はサークルに入らずブラブラ部だったんで(笑)、大学入ったらちゃんとしたクラブに入ろうと思ってすぐ放送研究会に行きました。他にトップ40研究会とかいろいろあったのですが、新入生勧誘コーナーの一番手前にあったのが放送研究会。 そこで部室に行こうってことで、案内されて屋上に出たら、屋上に誰が持ってきたか知らないけどパラソルのない丸いテーブルが置いてあって、ビールかなんか飲めるようになってるわけ。何だこりゃ?と思ってたらそこに「Surf's Up」って書いてある。誰だ?、こんなこと書くのは?と思いましたね。1975年の4月に「Surf's Up」って、絶対おかしなやつがいるなって思っていたら、それが萩原健太でした。 ちょうど雑誌「Back To The Rock」を作った時で同じ学年のやつと、これ買えよって、この部室を出たとこで営業していたんです。でも誰もこんなのに300円も出して買わないわけです。これを買ったのは萩原だけでした。「おっ、こんなの出してんの?」って話になって「オレは Beach Boys が好きなんだ。」、「オレも Beach Boys が好きなんだ」って話になって意気投合しました。 彼はストレートで大学に入ってるんで、歳は一緒なんですよ。次の年、これ(湘南ロックンロールセンター主催のコンサート)をやるんで、見に来いよって話をしました。そこで桑田を観た萩原は桑田の才能を僕以上に感じていたようです。 -同じサークルに佐々木雄三さんもいらっしゃったんですか? |
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