第回 : 森 勉さん



『ラジオ・デイズ』〜『アメリカン・グラフィティ』
ポップスとの出会い

-ポップスを聞き出した頃のことをお聞かせ下さい。
 小学校の5年生だったと思うんですが、親が誕生日かクリスマスに小さなトランジスター・ラジオを買ってくれたんですよ。で、最初はプロ野球のナイター中継とか聴いていたんですが、そのうちにつけっぱなしにしていると音楽が流れてきたんです。以前からテレビで「ザ・ヒットパレード」という日本人の歌手が洋楽の曲を歌ってカウントダウンしていく番組をやっていたんですが、そのオリジナルっていうのはよく知らなかったんですね。そしたらラジオからそういうのが流れてきたんです。それから日本人のものではだんだん飽き足らなくなってオリジナルの方を聴くようになったんです。そのラジオ番組も今で言うと普通のチャート番組でした。

 もう既にFMラジオはあったんですけど、聴いていたのはほとんどAM放送でした。特に印象に残っているのは、前田武彦さんと木元のり子さんがやっていた番組です。東芝が提供だったで、東芝のアーティストばかりかかっていたんですが、前田武彦さんのお喋りが面白かったこともあってよく聴いていました。Johnny Cymbal もその番組で初めて聴いたのではなかったでしょうか。その他、東芝ですからいろいろな人の曲がかかるわけですよ。Joanie Sommers とか Cliff Richard とかも、ワーナーがまだ東芝だったのでかかっていました。当時好きだった映画スターの Troy Donahue の「恋のパームスプリング」、映画の方はあまり印象に残らなかったのですが、主題歌はとても好きでした。買うレコードも当然、東芝のレコードばかりになっていましたね(笑)。

 あとはその頃、ニッポン放送で高崎一郎さんがやっていたヒットパレード番組、文化放送では小島正雄さん、その後「11PM」の司会をされる方なんですが、その方がとてもゆっくりとした口調で司会した「9500万人のポピュラー・リクエスト」など、普通のヒット曲をかける番組だったんですが、それもとても楽しかったんですよ。





-そういった番組は何時頃やっていたんですか?
 たいだい、夜の8時か9時頃やっていました。小学生、中学生対象というよりも高校生以上を対象にした番組だったでしょうか。高崎一郎さんの番組などはスタジオで今のクラブみたいな感じでレコードをかけながら、その場で踊ってもいいという放送形態をとっていましたね。当然のことながらそんな所に足を踏み入れることはできなかったのですが(笑)、当時雑誌を見てこうやって放送しているんだ〜と知りました。

 あと朝妻一郎さん、福田一郎さん、そして木崎義二さんがやっていたハガキなどで来たリスナーの質問に対して答えてくれる番組があったんですよ。それはラジオ関東の番組で、ラジオ関東は基本的に野球のナイターを放送する局だったんですが、ナイターのない月曜日などに約3時間に渡って、木崎さん、湯川れい子さん、桜井ユタカさん、星加ルミ子さん達が自由に自分の好きなことや音楽のことをお喋りしながら音楽をかけてくれて、それは好きでしたね。野球シーズンが終了するとこれがしっかりとした構成でオンエアされていました。それはすごく楽しかったです。

 小学校6年とか中学校1年の頃になると、チューナーを"810"に合わせると英語の放送が入ることに気づいたんです。当時回りにそんなこと教えてくれる人が誰もいなかったので、これ何だろう?と思っていたんです。米軍基地に向けて放送しているんじゃないかとかいろいろ友人と思い巡らせていました。新しい曲が日本の放送局よりも早いんですよ。まだ日本盤が出ていないような曲までかかるんですよね。日本の雑誌に紹介されていない曲もかかるわけです。曲目などはもちろん英語で紹介されるのでよく分からないんですけど、FENを聴いた後、友達に、あの曲何だろうとか電話して(笑)、次の日に学校へ行っても情報交換して盛り上がっていました。FENから流れてくる「音」がカッコ良く聴こえたんですよね。日本だけでヒットした曲やイタリアの「砂に消えた涙」などはかからないのですが、日本の雑誌でアメリカのチャートを見ることができるようになった時代なので、チャートの下位の曲なんかもFENで確認することができたんですよ。



Copyright (c) circustown.net 1999 - 2001, All Right Reserved.