第回 : 森 勉さん



『ファビュラス・ベイカー・ボーイズ』〜『バンドワゴン』
ミュージシャンたちとの学生時代

-林立夫さんとは同級生だったとうかがったのですが。
 彼とは小学校から一緒で僕がこういう音楽が好きだったので、よく音楽の話をしました。もう薄い記憶になっていますが、小学校の時、彼の家に遊びに行ったことがあったんですよ。家にドラムセットが置いてあってビックリしました。まだ小学生ですよ(笑)。

 中学になって彼が小原礼と"ムーヴァーズ"というバンドを組んでいて、ダンスパーティーという名目でライブをやっていたので何度か観に行ったことがありました。なかなか良かったです。林はドラムを叩きながら歌っていたんですが、歌もうまかったんですよ。最近は歌わなくなって残念ですけど(笑)。小原礼がリードギターで4人組でした。小原礼とはクラスがいっしょになったこはなかったですが。デモテープみたいなものを聴かせてもらったことがあって、その中にオリジナルが収録されていてそれがなかなか良かったんですよ。Beatles ナンバーも斬新なアレンジでやってました。高校では、Mothers of Invention の『Freak Out』に入っている「Trouble Every Day」をカヴァーしたりして…。

-林さん達とレコードの貸し借りとかもよくやっていたんでしょうか?
 貸し借りというよりかこちらから一方的に貸していたという感じでしたね。ミュージシャンってレコードより楽器や機材の方に優先してお金をまわさないといけないですからね。Beatles の『Rubber Soul』とか貸すと1ヶ月くらい戻ってこなくて忘れた頃、ボロボロになって返ってくる(笑)。曲をコピーするために繰り返し繰り返し聴く訳ですよ。歌詞カードもいろいろと修正されて戻ってくる(爆笑)。


お店にはさりげなくハマクラさんのCDが。
-あと浜口茂外也さんや後藤次利さんも同級生だったというお話ですが。
 浜口茂外也とは小学校、中学校がいっしょでした。彼のお父さん(浜口庫之介さん)が有名な方ですが、有名人の息子さんだとは感じませんでした。現在、パーカッショニストとして広く知られていますが、最近は自分で歌も歌い始めて年に3、4回、新宿のライブハウスでギターの弾き語りとかフルート演奏などとてもソフトな雰囲気のある音楽をやっているんです。ギターもとてもうまい人ですから、多くの方に聴いてもらいたいですね。彼は昔からロックよりもボサノバとか好きだったんですよね。

 後藤は高校の時いっしょでした。高校の時は学校でロックをやることが認められていなかったんです。林と後藤は軽音楽部に入っていて、ロックではなくジャズを中心に演奏するようなクラブだったんですけど、林はロックをやりつつジャズとかやっていて、そうやっていくことでだんだん幅が出てきたのではないでしょうか。学校の学園祭で暗幕のカーテンで教室を暗くできる視聴覚室で林と後藤達がジャムセッションをやったんですが、鈴木茂さんがそこに遊びに来ていたんですよ。鈴木茂さんは高校の頃から細野さん達とやり始めていたんですが、その時の彼のギターが凄くてびっくりしましたね。フリー・ジャズ的演奏だったんですよ。当時ギターリストの間で Gary Burton 楽団の中で、Larry Coryell がやっていたフィードバック奏法が流行っていてそれがすごくカッコ良かったんですよ。ジャズの人がロックティストの曲をやる、今で言うジャズロックですね。

 彼らが大学に進んだ頃になると、小原礼がサディスティックミカバンドに入り、小原礼が抜けたら、後藤がその後に入ったんです。凄いなあと思いましたね。林立夫がユーミンのレコードでキャラメル・ママとしてクレジットされた時はうれしかったですよ。高校のクラブ活動ではジャズをやっている林がロックをやりたくなるのがよく分かったんですけど、一度林がギターで Beatles の「Lady Madonna」を歌ってくれたことがあって、ギターもうまいんだなあと思いました。それがすごく印象に残っていますね。彼がここ2〜3年復活してくれたことはすごくうれしいです。そういえば7月18日発売予定の高中正義のニューアルバムに、林と後藤が久しぶりに参加しているという話しです。
-林さんの在籍したキャラメル・ママ、ティン・パン・アレイが70年代、バックミュージシャンから前面に出てきて積極的に活動をしますね。
 キャラメル・ママが参加しているものはとても興味が出てくるんですよね。吉田美奈子、大貫妙子、矢野顕子、小坂忠、アグネス・チャン…。雪村いずみのアルバムは教えられることが多かったです。服部良一さんのこんな素晴らしいメロディーが自分が音楽を聴く前にあったんだという発見もありましたし。

- はっぴいえんどは?
 69年頃、高校3年だったんですけどちょうど政治的には70年安保があって世の中が学生運動で揺れ動いていた時期で。それまでは外国のロックやポップスを聴いていたんですが、時代的に日本語で歌っているものが聴きたくなる時代だったんですよね。友人がURCの会員になっていたんですが、URCははじめは会員に対してレコードを配布する会社だったんですよ。それで高田渡さんの歌を聴かせてもらって好きになりました。それまでのGSなどの歌詞とずいぶん違っていて染みてくるんですね。それからはっぴいえんどが登場してきた。歌詞の面でなかなか満足できるグループがなかったんですけどはっぴいえんどが出てきてこれまでの音楽と全然違う印象を受けましたね。それまでも五つの赤い風船や遠藤賢司とか聴いていたのでコンサートは相変わらず行っていたんですよ。「ロック反乱祭」というライブがあってそこで初めて、はっぴいえんどを観ました(1970年4月12日、東京文京公会堂)。これははっぴいえんどのCDにも収録されているライブです。「バレンタインブルー」という名前で出演するはずだったのですが、ステージで大滝さんが「はっぴいえんど、です」と言ったんです。こんな時にどうしてグループ名を変えるんだろうと思いましたね。「ロック反乱祭」のライブは当時としても変わったライブで遠藤賢司なんかもステージに1人ギターを持ってあぐらかいて座っているんですよ。そして20分くらい「夜明けのブルース」かなんかを延々やるんです。五つの赤い風船も今までの「遠い世界に」などやらずに前衛的な音楽を提示してくれました。



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