第2回 : 宮治淳一さん



山下達郎さんのこと

-山下達郎さんとお会いになったのはいつ頃のことなんですか?
 詳しく言うと79年にね、Forever の宮下さん、最終的にはこの方は、レコード屋さん(Forever Records)を始めたんだけど、東京の御茶ノ水の古書センターかなんかの上を借りて、土日にかけて、出張セールみたいことをやったんですよ。夜はそこにプロジェクターを持ってきて、宮下さんが手に入れたロックンロールの珍しいビデオの試写会をやってたんだ。レコード買いに行ってたというよりも、それを見せてもらいに行ってたって感じでしたね。そこに行ったら、なんと、山下さんと大滝さんがいらっしゃいました。

 その時に自分が手がけた雑誌「Back To The Rock」を持っていって、「実は私、こういうことやってます」って挨拶したら、「読んでますよ。」っておっしゃっていただいて、「この本でインタビューの記事をやりたいんですが、いかがでしょう?」ってお願いしたら、「いいですよ。」ってことになったんです。

 その頃編集内でいろいろあって、話を取り付けたころで廃刊というか休刊になっちゃって、数年後、雑誌は「Memories」、「Back To The Rock」、「Rave On」と移り変わっていったんです。ちょうど「Back To The Rock」と「Rave On」の移り変わりの時期で、インタビューの約束を取りつけたのに載せる本がなくって、それで結局やらなかった。それが最初の出会い。79年頃ですからもう働いていました。「Ride On Time」ブレイク前夜のことです。

-正式にお付き合いするようになったのは、随分後ですか?
 87、8年頃、達郎さんが The Ventures の2枚組を監修されました。ある日突然、マネージャーの方から電話をいただいて、「ちょっと山下がお会いしたいって」。「The Ventures の2枚組を監修したので、The Ventures の専門家に話をお聞きしたい」と。いやあ、もう身に余る光栄ってことで事務所に行ったんです。そうしたら萩原も呼ばれていた。「これでどうかな?」とおっしゃるから、「いや〜もう何にも言うことはございません」って感じで(笑)。

 学生時代に佐々木さんといっしょに New Eleki Dynamica というサークルを始めて、そのサークルがオールディーズからロック、インストゥルメンタル、サーフィンと流れていったんです。達郎さんも The Ventures 好きだから、せっかく出すのなら一応、最先端の Ventures 情報を知ってる人に話しを聞いた方がいいんじゃないかってことで、白羽の矢が立ったんだと思います。僕はどっちかというとエレキ専門の人間というイメージがあったらしいんです。実は79年に会ってるんだけど、当然覚えてらっしゃらないから、それが初めですよね。

-達郎さんとは何歳ちがいなんですか?
 3つ違いですね。話していると、やっぱり当然地域的な差もありますけど、年齢的な差を感じますね。自分の子供のころとかは自分がどういう影響を受けているかっていう話をすると2、3歳のずれって結構大きいんですよ。特に音楽をどの時点で一番聞くって、だいたい中学とか高校でしょう?その時に何を聴いていたかが決定的に違いますね。

 ビートルズ来日だとおそらく達郎さんは中学生でしょう?僕は小学校5年だもん。それと地域的な差もありますよね。やっぱり神奈川県の田舎と東京の人じゃ(笑)。



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