第2回 : 宮治淳一さん |
Music Library & Cafe "Brandin" -Brandin をお作りになったいきさつについてお聞かせください。 以前仕事で Michael Ochs という人に会ったんです。彼は写真や雑誌を保管、いわゆる アーカイブしている人で元々はコレクターだったんですが、彼曰く、コレクトを目的にするのではなくてそれを「生かす」。彼はカレッジのFM番組で自分のコレクションを流したりしているそうです。 レコード会社はプロモーションをする時にプレスキットを作ってシングル盤とバイオグラフィや写真なんかでプロモーションするんですが、レコード会社にもよるんだけどヒットしないとそういうものを捨てちゃったりするんです。 彼は元々CBSコロムビアというレコード会社で働いていたんですが、そこで捨てられてしまうような、そういった資料を自宅にストックしていたそうです。オムニバス・アルバムを作ろうとしていた同僚からアーティストの写真や資料が欲しいと相談されて、彼のコレクションから提供したのですが、その同僚がそのレコードを編集した際にジョークで「Pictures from Michael Ochs Archive」とライナーに記載したことがきっかけになったそうです。Michael はそれからレコード会社を辞めてこういう資料を片っ端から買ってファイルし始めた。 |
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人がいらないものでも誰かが必要になってくることもあるし、それも必要になった時にすぐ出せる状態でないと結局ないのと同じ。僕も過去にワーナーが Paul Williams のファースト・アルバムを出す時にジャケットがないか求められたことがあったんですが、持っているけどすぐ出てこない(笑)。出てこないと持っていないことと一緒じゃない(笑)。
レコードがこれだけあっても自分で全部聴くわけではないし。レコードにしても本にしても世の中に聴かれるため、読まれるために生まれてきたわけです。他の人が見聴きできればいいなあと。自分は必ずしも聴かないけど誰かが聴ければいいと思う。 ここは元々フランス・レストランだったんですが、下に鉄筋が敷いてあるのでこれだけのレコードを置いても大丈夫だろうということで96年6月にここに引っ越してきまして約2年ぐらいかけて改装しました。こういう形で営業を始めたのは98年くらいからです。 Michael Ochs Archive というところはこういうカフェみたいになっていなくてプロが調べ物などで行くところで写真を掲載するには1枚いくらというふうにお金をとる。それで Michael Ochs は生計を立てています。 達郎さんとも話したことなんですが、いつか僕達も年をとっていつか死ぬんだから、こんなにたくさんのレコードを自分が持っていてもしょうがない時がくるんです。だから達郎さんが中心となって、「山下記念館」を作っちゃえばいいと思うんですよ。「大谷文庫」があるんだったら「山下文庫」なんてのもあっていいんじゃないかと(笑)。名前までしっかり考えてある(笑)。そうしたらここのレコード、全部寄贈する。萩原も全部出す。そうしたら結構立派なものができますよ。他にもたくさんの方が寄贈するんじゃないでしょうか。これからの世代の人に対していつでも聴ける状態にしておく。僕は初代館長になって、毎日早起きして掃除する(笑)。 |
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-それ我々の夢と一緒です(笑)。
初代館長になるために、金の代わりにレコードを出す(笑)。 -学芸員で雇ってください(笑)。 カミさんもこれを見て捨てろという人じゃないので助かっています。普通の人だったら何万枚のレコードを見たらアレルギーになってしまいます。 -カフェでありながら自分で自由にレコードを選んでターンテーブルに乗っけて聴けるというのは画期的ですよね。 -今、レコードの枚数はどれくらいありますか? |
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-定例的に行っているイベントについてお聞かせください。
みんなで音楽を聴いて楽しむ、というシンプルな趣旨でやっています。ちゃんと音楽を聴くことがなくなってきていると思うんですよ。タイトルは「音楽を聴く大人の時間」。Beach Boys やったり Beatles やったり、たまには音楽ライターの方々中心に解説する方々にも来てもらっています。他に「人の名前がつく歌」とか「色の名前がついている歌」とか・・・、もうそうなるとジャンルなんてないわけですよ。 -とても楽しそうですね。 Brandin は喫茶店としてご利用いただいてもかまいません。古いミュージック・マガジンを2時間ぐらいずっと読んでいらっしゃった方もいましたから(笑)。 (2001年2月3日茅ケ崎 Brandin にて) |
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